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[コラム] 制憲節は国慶日で、公休日ではなかったか?

    韓国の国慶日(法で定められた国の記念日を慶祝する日)は5つある。日付順には3.1節(3.1)、制憲節(7.17)、光復節(8.15)、開天節(10.3)、ハングルの日(10.9)。この中で唯一、祝日ではない国慶日が制憲節(憲法の公布を記念する日)だ。

    国慶日であるだけに、道路にも太極旗(韓国の国旗)がなびき、家ごとに国旗を掲げなければならない。ところが、休日ではないため、この日に太極旗を出すべきなのかさえ知らず、何もせずに過ごすことが多い。制憲節が国慶日から抜けたと思っている人もいるほどだから、国旗掲揚を忘れてしまったからと、とがめることもできない。

    制憲節が祝日から除外されたのは、それほど昔のことではない。 2008年から働く日に変わったので、7年目間休んでいないことになる。

    制憲節が祝日から除外された理由は一つだ。あまりにも休みの日が多いという財界の嘆願と反発によるものだった。制憲節が祝日から抜ける前である2006年から、公共機関で週5日制が拡大施行された。そして、民間企業にも勤務時間を週40時間に短縮して、追加分については追加手当や代休を与えるように法で強制した。

    1000人以上働く事業場の場合、2004年7月から週5日制が適用され、2008年に20人以上の事業場にも適用されたのだから、中小企業で週休2日制が定着したことをきっかけに、制憲節が働く日に変わったと見ても間違いない。

    もともと憲法の制定を記念する制憲節は1948年7月17日、大韓民国の憲法が公布された後、翌年の1949年から祝日に指定された。第二次世界大戦後に独立して、新生民主国家として誕生した国が概ね憲法記念日を祝日にしたことと同じことだ。

    7月17日、ここにはもう一つ格別な意味がある。旧暦で計算すると、この日は朝鮮王朝の開国日だ。李成桂(イ・ソンゲ)が朝鮮王朝の王として即位した日が1392年の旧暦7月17日であった。

    旧暦から新暦に変わったものの、朝鮮から大韓帝国を経て消えた昔の王朝の根を受け継いだという正統性(?)を主張したかったのかも知れない。当時は旧暦より新暦で計算すれば新式として考えられる思潮があったため、古い王朝ではなく、新しい共和国が誕生したという祝いの意味も込められている。

    2008年に祝日から抜かれた日は制憲節のほかに植樹祭があった。禿山に木を植えようという意味で祝日となったが廃止された植樹祭と制憲節が同等扱いを受けたわけだ。4.19学生革命と5.16軍事革命など、政変があるたびに憲法が変わったように、制憲節の運命も風前の灯だったわけだ。

    制憲節の運命と同じくらい大韓民国の憲法も紆余曲折を経た。いや、最初に制定されたときから奇遇だった。

    解放後、韓国側単独の総選挙で国会を掌握した地主階級の韓国民主党は李承晩にうわべだけの大統領の座を与えて、権力は首相に集中するように憲法を作ろうとした。小説家としても名を馳せた法学者のユ・ジノ(兪鎭午)が作った憲法草案を見た李承晩は激怒した。すぐに大統領中心のものに直せと騒ぎ、韓民党の首脳部は李承晩の要求を聞き入れ、内閣に自分側の人間を大量に入閣させる戦略を立てた。

    草案を作ったユ・ジノは苦心の末に建国憲法草案に首相の権限に入れてあった項目をことごとく大統領に集中するように直した。大韓民国建国の基礎となった憲法は、最初に作られたときから権力者の好みに合わせなくてはいけなかったのだ。

    制憲節がカレンダーにおいて赤ではなく黒で表記され、7月は4月と11月に続き、公休日のない月となった。2月と9月はソルラル(旧正月)連休とチュソク(秋夕)連休の状況に応じて変わる。祝日なく過ごす年もあるが、休むときはたくさん休む。
  • O2CNI_Lim, Chul | 入力 2015-07-17 00:00:00