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[コラム] 今もロッテのイメージは「ガム企業」

  • 大学にて入社説明会を行うロッテ人事チームの職員にある大学生が尋ねた。
    「ロッテグループは年俸が低いという噂が出ていますが、何故ですか?」
    返ってきた答えは明瞭だった。
    「ガムを売る企業と自動車を売る企業が同じでありうりますか?」

    食品と流通の他にも石油化学などにも進出した多国籍企業集団であるが、「ロッテ=ガム」という等式はまだ多くの人々の脳裏に刻まれている。ロッテのキャッチフレーズも「お口の恋人、ロッテ」だ。恋人同士でキスをする前に口の中を甘くするためにガムを噛む姿が連想される。

    ロッテの創業者である辛格浩(シン・ギョクホ、日本名:重光武雄)会長は早稲田大学を卒業した後に韓国にて馬の面倒を見る仕事をして金を稼ごうという考えで日本の密航船に身を乗せた。製菓工場にて仕事をしていた彼は第2次世界大戦が終戦した後にオーナーから工場を受け取り、ガムを作りはじめた。ガムの名前を考えている際に本人が一番印象に残っていた女性、ゲーテの小説「若きウェルテルの悩み」の女性主人公シャルロッテを選んだ。その後ロッテはガムだけでなく、企業集団の名前となった。ソウル淸凉里駅前の広場の名前もシャルロッテ広場だ。

    1947年からガムを作って売り始めたが、翌年には当時日本からの輸入規制対象だった天然チクル輸入許可を得て、これを原料としたガムを市場に打ち出した。社長であるシン・ギョクホ自らリアカーにガムを乗せて歩き回りながらガムを売った。いくつかの多様なカラーのガムの包み紙は60年代まで特別な遊び道具のなかった子供たちの収集対象となった。いくつかの種類のガムの包み紙を集めて金を受け取って売ったりもされたが、珍しいガムの包み紙は価値も高かった。

    1948年、日本の東京で株式からロッテが設立された後の1959年に日本のTBS放送にて「ロッテ 歌のアルバム」が電波に乗り始めた。

    「1週間のご無沙汰でした。お口の恋人ロッテが提供、ロッテ 歌のアルバム…」で始まる番組の司会者、玉置宏のオープニングの台詞が流行語となり、ロッテは日本で一躍有名企業となった。

    韓国でもロッテはガムで出発した。公式的なロッテの韓国進出は1967年と伝えられているが、実際にはロッテが日本のチューイングガム市場を掌握した1958年から韓国での活動が開始された。シン・ギョクホ会長が韓国にいる弟シン・チョルホに300万ウォンを送って「株式会社ロッテ」が設立し、翌年からロッテガムを作り始めた。その後、兄弟間で株式会社ロッテの経営権をおいて争い、シン・チョルホが公文書偽造容疑で拘束されて退いた後、現在の法人が新たに設立された。この時代はロッテの公式社史には記録されていない。

    その後、ラーメン業者であるロッテ工業(農心の旧名)と共にロッテを知らせはじめ、ロッテラーメンの袋にロッテガムのサンプルを付けて売ったりもした。ラーメンの中にもガムがあったので、今もロッテ=ガムという等式が思い浮かぶのも当然の話だ。

    ロッテがガムを作って売っていた時代、日本の製菓業者はアメリカの製品を模倣することが一般的であり、アメリカの製品の中にはロッテガムという商標もあった。巷ではシン・ギョクホ会長がこれをコピーして売った、小説の物語を借用したものという見方もある。小説にてシャルロッテはウェルテルの気持ちを知りながらも受けてばかりいて、自殺するものと予想しながらもフィアンセの拳銃を直接与える。このようなキャラクターに反感を持つ読者もいるはずだ、商標名に使うには不適切だという意見もある。
  • O2CNI_Lim, Chul | 入力 2015-08-03 09:00:00