記事一覧

ニュース

数字経済

テクノロジー

コラム

ビューティー

カルチャー

エンタメ

旅行

韓国Q&A

新造語辞典

もっと! コリア (Motto! KOREA)
コラム > オピニオン

[筆洞情談] 避難民の息子

    1950年12月、吹雪のなびく興南(フンナム)埠頭。トクスの家族は千辛万苦の末に難民を乗せて行く船に乗る。しかし誰かがひっぱったせいで、トクスが背負っていた末っ子が船から落ちる。末っ子を助けようとトクスの父は再び船を下りていく。そのあいだにトクスと弟そして母親の乗った船は埠頭を離れる。トクスの家族は一瞬で離散家族になる。 2014年に公開されて1400万人を超える観客を集めたユン・ジェギュン監督の『国際市場で逢いましょう』の興南撤収場面だ。

    避難民を乗せた船は三日目に巨済島(コヂェド)の長承浦(チャンスンポ)港に到着するが、この時のようすは金薫(キム・フン)の『空き地で』という小説によく描かれている。 「輸送船の鉄門が開かれた。糞や小便にまみれた人々がふらふらと船から下りた。イ・ドスンは人々が船からすべて下りるまで、船着場で(興南で別れた夫と子供を)待っていた。夫と子供は見えなかった。赤十字のタスキを巻いた女性が、船から下りた人たちにパンをひとつとむしろを一枚ずつ配った。イ・ドスンはパンとむしろを受け取った」。

    避難地での生活はつらかった。イ・ドスンは血の着いた軍服を洗う仕事をした。当時、避難民らは行商や露天商など、食べていくために何でもした。かつかつの暮らしだったが、結婚をして子供を産んだ。イ・ドスンもそうだった。つらい洗濯作業をしながらマ・ドンスというながれ者の男に出会ったわけだ。 「マ・ドンスは左に、イ・ドスンは右に洗濯物をひねった。日が暮れればマ・ドンスは牛岩洞(ウアムドン)の避難民収容所で寝た。イ・ドスンはマ・ドンスの収容所に居場所を移した。マ・ヂャンセとマ・チャセはそこで生まれた」。

    興南撤収避難民の息子であるという点で、文在寅(ムン・ヂェイン)大統領は『国際市場で逢いましょう』のトクスや、『空き地で』の主人公マ・チャセと同じだ。ひどく貧しい子供時代を過ごしたことも似ている。南下してきた難民は生活の基盤を奪った共産主義を直接経験したであろうから、徹底した反共主義者であるしかない。

    これら同時代を生きた60代以上の高齢者も、だいたいに同じような信念を持っている。避難民の息子であるムン・ジェイン大統領は彼らを充分に理解できるだろう。今回の大統領選挙では他の年齢層に比べて支持率は低かったが、両親に接する子の姿勢で彼らの心配も解いていかなければならない。これは安全保障と統合大統領になる道でもある。
  • 毎日経済 チャン・バグォン論説委員 | (C) mk.co.kr | 入力 2017-05-11 07:45:33