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[筆洞情談] 皮千得の五月

    高校の国語の時間にエッセイ『因緣』を学んだのは5月だった。窓の外に見える新緑の上から春の日差しが降り注ぐ午後。先生はある列を指して、「後ろの番号から」順にひと段落ずつ朗読させた。私が読んだ段落の中にこのような文章が含まれていた。「今でも私は女性の傘を見ると黄緑色が美しかったあの傘を思い出す。『シェルブールの雨傘』という映画を私があんなにも好きだったのも、アサコの傘のためのようだ」

    60人以上もいるぎゅうぎゅう詰めの教室が、そのときほど寂寥として感じることはなかった。学生はたちは居眠りもせず、はしゃぐこともしなかった。みんなそれぞれの「因緣」、それぞれの「アサコ」、そして行ったことのない都市「シェルブール」を考えたのであろう。

    去る25日は 『因緣』の著者である「琴兒」皮千得(ピ・チョンドゥク)先生の逝去10周忌となる日で、南楊州市の牡丹公園で追悼式があった。皮千得先生とのご縁といえば、彼の文章を読んだことが全てなので追悼式には行けなかったが、代わりに蚕室ロッテワールドにある皮千得記念館を訪れた。詩人でありながら英文学者であり随筆家でもあった先生は、質素な生活に上品な精神の人生を送り、これを青磁硯滴のように端麗な言語で表現した。老齢にもかかわらず子供のような笑顔を浮かべていた。

    「いろいろな人が好きで誰も憎まずに、何人かの人をこの上なく愛して生きたい(私の愛する生活)」。

    また静かで内気な性格のせいで、人前に出るよりは黙々と自分の仕事をする生活に憧れた。

    「全員が指揮者になることはできない。全員がコンサートマスターになることもできない。(中略)トスカニーニではなくても、尊敬される指揮者の下で演奏する無名のフルートプレーヤーになりたいときも時々あった(フルートプレーヤー)」。

    高校の国語の課程で『因緣』を学んだ私たちの世代にとって、皮千得という名前は青春の記憶であり春のイメージだ。

    皮千得先生は5月に生まれて5月に亡くなったが、彼が書いたエッセイの中ではまた『五月』が有名だ。

    「新緑を眺めると、私は生きているという事実が本当に楽しい。私の年齢を数えて何になるのか。私はいま五月の中にいる。(中略)6月になると『円熟な女』のような緑陰が茂るであろう。そして太陽は情熱を降り注ぎ始めるだろう」。

    皮千得先生の表現どおり、「明るく清らかな五月は、まさにいま来ている」。
  • 毎日経済 ノ・ウォンミョン 論説委員 | (C) mk.co.kr | 入力 2017-06-01 08:39:02