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[筆洞情談] サウジのミニスカート

    昨年夏にアブダビのイスラム寺院、グランドモスクを訪問した時だ。入口からアバヤを着用していない女性たちは、貸与所に行って着替えてから入場をしろという。最初は不思議な体験をしたと思い嬉しかった。ところが気温が40度を超えるむしむしとする天気に、一行の中で唯一の女性である私だけが黒いアバヤをかぶって行動するとなると非常に悔しい感じがした。

    現地で出会った女性たちはアバヤを着てほとんど同じに見えたが、一様にファッション小物で自己を表現していた。つま先までゆらゆらとした服のためよく見えないにも関わらず、赤いハイヒールを履いていて爪には原色のマニキュアも塗っていた。イスラム女性のファッションに対する抑圧された欲望が垣間見えた。しかし残念なのは、文化を理解できない私の偏見にある可能性もある。彼女らのほとんどがアバヤやヒジャーブを自分たちの宗教的アイデンティティであると同時に、当然の生活方式として受け入れているためだ。

    アバヤやヒジャーブなどは歴史上最も多くの議論をもたらしてきた衣装だ。女性の抑圧だという主張と文化・宗教的多様性だという視覚が対立している。顔をさらして上半身だけ覆うヒジャーブは理解できる。しかし、目だけを抜いて顔を全て覆う「ニカブ」、全身を覆って目の部分を網目で覆ってしまった 「ブルカ」は人権侵害だという抵抗感を呼び起こしているのが事実だ。

    ヒジャーブやブルカなどの起源は「男性を誘惑するあらゆるものも見えてはならない」と述べられたコーランにまで遡る。男性を刺激しないために髪や体などを隠せという意味なのだが、女性を性的対象化したものだ。特にサウジアラビアは、女性が運転をすることができないほど律法適用が厳しい。そんなサウジアラビアで最近、ミニスカートにへそ出しTシャツを着たある女性モデルが、長い髪をなびかせながら歩く6秒の動画が公開されると国中が大騒ぎになった。処罰をしなければならないという主張と挑発を応援するという相反した世論が沸き立った。その女性は警察に逮捕されたが、議論が広がると釈放された。

    西欧人のヒジャーブ批判は、ムスリムの差別だという誤解を招くことがある。

    そのような点から、サウジアラビアの女性たちの自覚によってブルカを脱ぎ捨てる動きがあるということは意味が大きい。最近にイランでも、早死にした女性数学者のマリアム・ミルザハニの記事を扱いながら、新聞がヒジャーブを着用していない写真を異例的に掲載した。変化の風だ。タブーは内部の自覚により、内部で砕けなければならない。
  • 毎日経済 シム・ユニ論説委員 | (C) mk.co.kr | 入力 2017-07-29 09:00:00