Q.昔の韓国にあった興味深い職業には、どのようなものがありますか?(上)

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A. 一時期、スチュワーデスが若い女性たちが渇望する職業だったことあります。今でも、悪い仕事ではありませんが、20年以上前と比べると、スチュワーデスの人気はだいぶ落ちたという点は否定することが難しいでしょう。

60年代末に高速バスが初めて登場したとき、高速バスの案内嬢もそれなりに嘱望される職業でした。市内バスの案内嬢は乗客にぶつかりながら、お金やバス乗車券を横領したと検査を装ったセクハラをされたりもしましたが、高速バスの案内嬢はきれいな制服を着て、高速バスの前の席に座って居眠りをしながら、時々吐き気を催す乗客に水をあげるような非常に快適な職業でした。

途中で乗客を降ろしてあげたり、乗せることもない高速バスになぜ案内嬢が必要なのかは、今でも不思議に思います。あまり必要なかったからか10年もたたずになくなりはしましたが、初期には最低でも高校を卒業した容姿端麗な女性であってこそ、案内嬢に選ばれていたそうです。

職業の歴史を見ると、世相を知ることができますよね。

今では、医師、判事、弁護士などいわゆる最後にシがつく職業が人気ですが、100年ほどさかのぼると、それほど尊敬を受ける職業ではありませんでした。死にかけている人の命を生かす名医も王様の病気を治す御医でないならば、身分はただの中人にとどまっていました。時代の変化とともに栄華を享受していた職業が消えたり、虐げられたり、蓄財とは程遠い職業に転落することもあります。

かと思えば、軽蔑を受けていた職業が時代の寵児に浮上したりします。代表的な職業が芸能人です。

いつだったかバラエティ番組で、あるコメディアンがファンを対象に「一般人」云々という発言をし、芸能人が特権階層でもあるかのような発言をして眉をひそめさせたりもしましたが、半世紀前にこのような言葉を発していたら、おそらく袋叩きに会っていたかもしれません。

朝鮮時代の職業区分は士農工商に代表されるのですが、踊りと歌と、技芸を行う人は士農工商にも入らない賎人がする行為だと思われていました。わずか1世紀にして、賎人からスターに変身したのですから、隔世の感を禁じえません。

機械文明の発達、都市化、蓄積された富と余暇生活、電算化、国際化など、さまざまな時代の潮流が職業の変遷の要因として作用します。

しばらくの間、非常に多くの人が雇用されていましたが、今では消えた職業として、電話交換手、タイプライターと人間コンピュータと呼ばれた計算手を挙げることができます。

天文学をはじめ、銀行や企業で信じられないほど多くの量の計算をするために、複雑な計算をする人々が雇用されていました。計算手は20世紀半ばまでは複数の職場で旺盛に活動していましたが、タイプライターと一緒に代表的な女性の職種でした。女子商業高校では算盤をはじいて計算する方法を教え、慌ただしく人材を供給していました。

しかし、残念ながら、ほとんどが非正規職で賃金も非常に低く、コンピュータの使用が普遍化されて職種自体が消滅した状態です。タイプライターの歴史も計算手とほぼ大同小異です。

職業の歴史を覗いてみると、韓国にのみあった職業を確実に見つけることは難しいようです。

まあ、同じ人間が暮らしているのですから、名称が違うだけでどこの国でも似たような仕事を持っている人がいたのではないでしょうか。

韓国で消えた職業を見てみると、代表的には先に紹介した電話交換手、妓生(キーセン)、乳母、人力車、水売り、薬売り、包丁研ぎなどが挙げられるため、おそらく昔の日本にも存在していた職業だったことでしょう。韓国の近代文化の中には日本列島から玄界灘を渡ってきたものが多いため、このような職業が日本と重なるのもおかしなことではありません。

水売りは日本にはなかったかもしれませんね。韓国でも北の方の咸鏡道の人々が主に担当したので、日本になかった職業である可能性もあるという考えがします。

19世紀末の朝鮮の首都、漢城(現在のソウル)には上水道の施設が皆無でした。清渓川は都市の汚物が流れる河川であり、そのため、きれいな水を手に入れるために井戸もたくさんありました。水売りはきれいな水を汲んで売る人たちです。

お金がない人は直接、甕(かめ)を担いで井戸から水を汲んでいたでしょうが、お金のある家では水売りが配達してくれる水を使用したことでしょう。水売りが増えると、後には常連の区域を他の人が侵犯しないように防いでだりして、営業圏も生まれました。

水を運んで子供たちの学費を稼いだのですから、咸鏡道の人々の根性もすごいものです。水売りの全盛期は1908年で、ソウルに上水道設備が装備されながら、消えていきました。最初は上水道会社と水売りの間で妥協する時期もありましたが、水売りが公共の水道から水を汲んで常連客に水売りできるように配慮したのです。

しかし、常連客の家でも水道水が出るようになると、そんな配慮も水の泡になりました。水道を設置した家庭が少なく、高地には上水道が通るなど考えることもできなかった時代には、それなりに商売をする余地がありましたが、最終的には消える運命を避ける道はありませんでした。
  • Lim, Chul
  • 入力 2015-08-20 00:00:00

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