Q.昔の韓国にあった興味深い職業には、どのようなものがありますか?(下)

답변게시판
A. 韓国が近代社会に進入する前には、現代の常識から考えるとつらく、大変な生計手段も少なからずありました。

当時も人が生きる姿は同じようなものだったことでしょう。豊かで、快適な生活が何かはよくわかりませんが、とにかく訴訟で争うことになると、知識が豊富で、自分の悔しさを上手く説明してくれる人、最近で言えば、弁護士が必要でした。

そのような役割を担った人を外知部(ウェジブ)と呼びましたが、それほど大きな役割は出来なかったように見えます。MBCドラマ『トンイ』で粛宗の最後の恋人だったであった淑嬪(スクビン)が居所を宮の外に移した後、賎民の悔しさを解く外知部の仕事をするシーンが出てきます。

訴訟に関連する興味深い職業には、外知部のほか、茶母(タモ)、仵作人(オジャギン)、推奴客(チュノゲク)、メプムパリなどもあります。チュノゲクは逃げた奴婢を捕まえることが仕事ですが、賞金首ハンターと似ている面があります。

タモとオジャギンには共通点が多くあります。ドラマや小説を見ると、タモとオジャギンが犯人を見つけることに能力のある探偵のように描かれることがたまにあります。

タモは朝鮮時代に一般官司でお茶やお酒のもてなしをした官婢です。開花期以降釈放されたタモらがお茶を飲む風習を市中に広め、茶店を開いて営業もしました。

記録を見ると、ソウルの毛廛橋(モジョンタリ)の茶店で脇が見える短いチョゴリを着たタモたちが客を誘引して雀舌茶を売ったという話が出てきます。このように茶店は、人々が多く行き来する場所に位置していたため、風評を伝え聞く機会も多かったでしょうから、犯人を追う官員が「こんな奴を見かけなかったか」とタモに尋ねたりしたことでしょう。このようなことが多くなれば、探偵の仕事にも多少の才能を発揮できていたかもしれません。

オジャギンは、元来、官庁で死体を収拾する仕事をしていた使用人です。いろいろな種類の死体を引き受けて処理するため、死因を区別する能力を持つ人もいるというものです。ドラマ『トンイ』を見るとオジャギンの話が登場します。トンイの父親​​がオジャギンとして出てくるのです。

芸が多く、処世術に優れたオジャギンはもてなしを受けたのですが、妓女(キニョ)の歴史を見ると、オジャギンに騙された妓女が同床を許すという内容もあります。

訴訟と関連して、最も貧しい人々の職業はメプンパリです。罰として棍棒を打たれるはずの金持ちの坊ちゃんに代わってお金を受け取って、罰を受ける仕事です。「なぜこんなに良い制度が無くなってしまったのだろうか」と金持ちたちが惜しむ職業であることでしょう。メプムパリがいれば、代わりに刑務所にも行って、強制的なボランティア活動も代わりに行ってくれるでしょうから。

とにかく罰を受ける価格は決まっていなかったそうです。駆け引き次第でしょう。心の醜い兄と優しい弟の話を扱った韓国の伝統的な小説「興夫歌(フンブカ)」でも優しい弟がメプムパリをして食べ物を求める部分があります。

伝わる説話には棍棒7発を受ける見返りとして分厚くお金を受け取る光景を目にした官員がとても激しく棍棒を打ちつけたところ、メプムパリがお金をあげるから便宜を図ってくれと懇願したという話もあります。

朝鮮時代の職業の中で特異な職業は、このほかにも、最近の消防士の役割をした滅火軍、敵の動きを探るいわゆるスパイのような体探人(チェタムイン)、宮中でごちそうが振舞われる際に珍しい料理を担当した男性の調理師、熟手(スクス)などがあります。このような職業は貴族にあたる両班家では務めないため、ほとんどが中人の分け前でしたね。

朝鮮末期に社会が混濁して、生じた職業もあります。バーや歓楽街で客引きのような仕事をしていたヨリクンや、妓房を訪れる女郎買いを妓生(キセン)につなぐ売春斡旋業者のようなことを生業にしていたチョバンクンも登場します。

科挙試験場は権力とお金で汚れていました。19世紀になって朝鮮の科挙試験場は完全に混乱していまいた。地方で実施さ​​れる初試は200~300両で合格が決まり、1877年には義州の官吏が自分の息子をトップで合格させるために10万両という巨額を使ったりしました。

権力に縁がなくても、お金さえあれば科挙の試験をパスすることは難しくないことだったそうです。解答用紙を代わりに出す巨擘(コビョク)、文字を代わりに書く寫手(サス)、ここに受付を代行してくれるソンジョプクンもいたのですから、科挙が開かれるというニュースを聞くと、試験勉強をするのではなく有名なコビョクやサスを探すことが急務でした。

ソンジョプクンが登録をして、曖昧な人を科挙試験場に送った後、家の中でゴビョクとサスが書いた解答用紙を科挙の試験場に送り、解答用紙として提出します。本当にそれで「終わり」でした。

このような人々が官吏になって乱暴を働いたのですから、民衆の心はどうだったでしょうか。泣きたくても泣けないって? 心配しないでください。その時代には、泣くことを専門にしていたコクビ(哭婢)もいたそうですから。
  • Lim, Chul
  • 入力 2015-08-24 08:00:00

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