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[コラム] 若くして遊べる方法


こどもの日の断想。

先日、野球中継を見ていたら画面にゴルフ選手の朴セリが映った。いや引退をしたのだから元プロゴルファーと呼ぶべきか。

楽な服装で好きな野球チームを応援する姿からは余裕が感じられた。その姿を見て、ふと歌の歌詞が思い浮かんだ。

遊べよ遊べ、若いときに遊べ
老いたら遊べないのだから
花に十日の紅なく
月も満ちたら欠けるのだから
(『ノレカラク・チャチャチャ』作曲キム・ソングン、作詞キム・ヨンイル)

1977年生まれだから、今年で40歳。歌詞に登場するまさに遊ぶのに良い若い年齢ではないだろうか。

彼女は自分がやりたいことを何でもできる。賞金だけでも100億ウォン以上を稼ぎ、アメリカにプールと映画館まで付いた邸宅もあるのだから、経済的にも豊かだ。まあ、勉強をしたければ勉強をしても良いだろう。

彼女は実際にUS女子オープンゴルフ大会で奇跡のような優勝を果たした1998年、成均館大学に体育特技生として合格したが、ゴルフツアーと学業を並行するのが難しいと判断して、入学をあきらめた。その10年後の2007年、淑明女子大の定時募集に志願して合格した。その後、4年間奨学金をもらいながら政治学部に通った。彼女が何をしても韓国人の中で文句を言う人は一人もいない。財産が多いと羨望したとしても、非難する人はいない。

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ハザードのすぐ前に落ちたボールを打つために水に入って靴下を脱ぐ朴セリ。その白い足に魅了されてゴルフ選手の夢を育てた世代が「朴セリ・キッズ」だ。

朴セリは自分の夢を達成しながら、韓国人と韓国社会にはそれよりもはるかに多くのことをプレゼントした。通貨危機により落胆した韓国人に彼女は夢を叶えるために最善を尽くす姿を見せた。韓国に世界最強の女子ゴルフ軍団が誕生したのも、どこまでも朴セリのおかげだ。

だから40歳に人生を楽しむことができるわけだ。

若くして遊ぶには、幼い頃に苦労をするしかない。朴セリは陸上をしていたが小学校6年生のとき父に連れられてゴルフクラブを握った。午前2時まで一人で残って訓練をした。父は度胸をつけるためだと夜中に墓地に幼い娘を一人で残したりもしたと伝えられる。

子どもの頃の焼入れが中学3年生になって光を放ち始めた。当時の韓国女子ゴルフのレベルが低かったものの招待選手として出場した中学3年生の幼い学生がそうそうたるプロを抜いて優勝したのだ。高校3年生の時にアマチュアでシーズン4勝を収め、プロとしてデビューしてからは全試合トップ10に乗数を4回追加した。彼女が活躍するには韓国の舞台が狭く感じられたのだろう。

朴セリは1997年に1年間、世界最高のインストラクターといわれるレッドベターに徹底的にレッスンを受けた後、米国の舞台に挑戦した。そして伝説になった。

伝説になるためではなく若くして遊ぶには、子どものころの焼入れが必要だ。

何を習ったとしてもすぐに自分のものにして想像力も豊かで頭の回転も速く、楽しみを感じたら限りなく没頭できる歳に自分に合ったものを見つけて鍛える必要がある。

そうしてこそ若くして遊ぶことができる。老いたらいくらお金が多くても遊ぶことは難しい。お金があるからと青年の間に挟まって一緒に過ごそうとしたら醜態だと皮肉を聞くことになりがちだ。

5月5日のこどもの日、ふと『ノレカラク・チャチャチャ』を思い出してつい口ずさんでしまう。
  • O2CNI_Lim, Chul
  • 入力 2017-05-07 09:11:00




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