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[コラム] 君のための行進曲

この曲の提唱がなぜ議論の中心に立ったのか? 

毎日午後5時18分、昔の全羅南道庁があった国立アジア文化殿堂の前にある5.18時計塔ではこの曲が流れます。

「愛も名誉も名前も残らず
生涯かけて行こうとした熱い誓い
同志は行った所にいなく、旗だけがなびく
新しい日が来るまで揺れないでいよう

歳月は流れても山川は知っている
目を覚まして叫ぶ熱い合声
先に行くから生きた者は続け」

  • [コラム] 君のための行進曲
毎日午後5時18分『君のための行進曲』が流れる光州時計塔

1980年の5.18光州(クァンジュ)民主化運動当時、市民軍の代弁人として活動していたユン・サンウォンは戒厳軍に全羅南道(チョルラナムド)庁が陥落した最後の日、現場で息を引き取る。当時の記者会見で「戒厳軍が鎮圧すれば犠牲者が増えるのではないか」と尋ねた外信記者は彼の目から死を覚悟した決然とした意志を見たと伝える。

光州民主化運動が起こる1年前、ユン・サンウォンが愛した恋人、夜学教師パク・ギスンが過労した状態で、練炭ガスで亡くなった。ユン・サンウォンは書店でパク・ギスンと出会い、彼女の説得でパク・ギスンが開いた野火夜学で労働者を教える仕事を一緒にしてきた。

以後、2人の関係を知っている人が霊魂結婚式を推進した。『君のための行進曲』は霊魂結婚式で披露した歌グッ(巫女による儀式)『ノクプリ(霊魂を解放すること)』を通じて初めて発表された。歌詞は、もともと在野活動家ペク・ギワンの詩『ムェッビナリ』に掲載されたものだ。これを作家ファク・ソクヨンが作詞をし、全南大学生キム・ジョンリュルが曲をつけた。

その後、1982年に制作された音盤『ノクプリ-光の結婚式』に収録されながら広く知られた。もちろん、1980年代には禁止曲だった。この歌が入ったテープは、売買が禁止された違法テープだった。しかし、政治デモで、労働争議現場で、口から口へ伝わるのをどう防ぐのか。

デモ現場はもちろん、進歩陣営の儀礼のたびにこの歌が響き広がりながら、韓国左派を象徴する歌になった。今では、中国、台湾、香港、フィリピン、そして日本でも労働者闘争歌として歌われる。左派の韓流といったところだろうか。

この歌が現在、与党協治のアイコンとして挙げられている。

5.18民主化運動は、1997年から政府主管行事として開かれているが、2008年までは行事の最後は『君のための行進曲』の提唱で終わった。参加政府時代の2004年には軍楽隊によって演奏されたりもした。

しかし、2010年からの行事を主管する国家報勲処が『君のための行進曲』提唱を式次第に含めないと言いながら、与野党間の対立が高まっている状況だ。今年も論議が起こったが、ついに葛藤だけを高めたまま、野党の関係者だけが拳をぎゅっと握ったまま歌う姿が演出された。

現在、国家報勲処の処長は、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権当時に警護室長を務めていたパク・スンチュンで、5.18光州流血鎮圧の中核にいた疑いを受けている。光州で死亡した魂を称えるための行進曲は、自分自身を否定する形になるため、必死になって防いだのかもしれない。

中央日報の調査では、20~30世代のうち『君のための行進曲』をすべて知っていると答えた回答者がわずか7%にとどまったという。聞いたこともないという回答が37.8%ではるかに多かった。1980年に光州がなければ、韓国人が現在、これだけの政治的自由を享受しているだろうか。

生きた者が続かないため、先立った魂が血の涙を流すかもしれないと考えたりもする。
  • O2CNI_Lim, Chul
  • 入力 2016-05-22 08:00:00




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