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[コラム] 自伝を代筆していた物書きの酒癖


記者出身の物書きが一人いました。新聞社をやめた後、いろいろなところで生計を立てながら転々とし、自分が持つ芸が書くこと一つしかないことに気がづきました。

しばらく創作活動をしてみましたが、誰かが読んでくれそうな作品は書けませんでした。書くことに芸はあるものの、平凡なレベルであることを痛感した瞬間、彼は酒を大量に飲んで引きこもりました。

そんな彼に救いの手が伸べられました。自伝を執筆してほしいという注文でした。100万冊以上が売れるベストセラー作家には及ばなくても、自伝の執筆による収入は少なくありませんでした。暮らしていくには全く支障がなかったのです。他人の自伝を代筆してあげるだけの才能はあるため、自伝や社史の依頼も結構入ってきました。

自伝を書くには記者の前歴も重宝しました。故郷の人にも会ってみて、偉大な(?)人物が活動していた時期の世相やエピソードも付け加えると、それらしい話も作り出すことができました。ただし、それでも自伝であるため、無かったことを付け加えることはしなかったそうです。

人々に会って話を聞いていると、どうしても悪い話も耳に入ってきます。知ってはいけない、自伝には追加することが難しい話も耳に入ってくるというものです。本人が直接書いて、自分の醜い面、他人に許しを求めなければならない悪事を懺悔するならまだしも、代わりに書いてあげているのに、どうして悪い部分を加えることができるでしょうか。代筆してあげる自伝に、記者精神や知識人の批判精神を割り込む余地は全くありません。

一冊の本を終えた後、彼の部屋には酒の瓶が転がります。たまには親しい友達を呼んで、酒屋で奢ったりもします。一人で酒を飲むとありとあらゆる雑念が浮かんできそうだからです。

「私が書いた文章を覚えてくれている人がいるだろうか」

彼は酒を飲むと、このような問いに戻ります。書いた伝記の中には、自分が考えてもいい出来のものがあるのに、本から彼の名前を探すことはできません。社史の場合には執筆者名簿に一行くらい割り込ませることができますが、自伝の場合には「代筆○○○」と書かれていてはいけないからです。

だから、自伝の執筆をやめました。ちょうど、韓国での自伝ブームも消えたことだし、仕事量も減りました。今は田舎で帰農して、農作業をしています。

韓国での歴史教科書の国政化論議を見ながら、自伝を書くために徹夜をしていた彼が思い浮かびます。教科書を書いてくれという韓国政府の提案に応じた学者を、自伝の執筆者程度に考える意図は決してありませんが、少なくとも学生を教える講壇に立つ学者であれば、思想の自由くらいは貴く考えなくてはいけないという気がします。

思想の自由がないなら、歴史を一度でも勝手に想像してみる権利がないなら、学問の道にはなぜ入ったのか、という疑問が浮かびます。

もちろん、これも筆者の考えに過ぎないことでしょう。国定教科書執筆に応じた人たちも、そうせざるをえない正当性があることでしょう。しかし、「一つの観点で書かれた国定教科書が社史と何が違うのか」という疑問は隠すことができません。社史を書きながら苦しんでいた物書きの酒癖が頭の中をぐるぐると回ります。
  • O2CNI_Lim, Chul
  • 入力 2015-11-15 08:00:00




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