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[世智園] 史官の筆


  • [世智園] 史官の筆
孔子が4歳だった紀元前547年。斎で、当代最高の権力者だった崔杼と史官の間で論争が起きた。一年前に死亡した君主である荘公の死因を記録する問題についてだった。

史官はこのように記録した。「崔杼が荘公を殺した」これは事実だった。ただし、崔杼は荘公が自身の夫人と私通しようとしたため、このような行動を起こしたものだった。姦通犯を現場で即決処分したものだと崔杼は解釈した。

史官の記録は、このような現実を参酌しなかった。崔杼は荘公が病気で死んだと記録するように命じた。史官は拒絶した。崔杼は史官を殺した。史官の弟たちも史官だた。兄が死ぬと、次男と三男も同じように書いた。2人とも処刑された。一番下の弟だけが残った。崔杼は聞いた。「お前は死ぬのが怖くないのか」彼は答えた。「今自分が書かなくても、天下に必ず真実を書く人がいるでしょう」結局、崔杼が折れた。

この事件が起きる60年前の紀元前607年にも、似たような事が起きた。まさに董狐の筆として知られている故事だ。晋の君主である霊公が権力者だった趙盾の側近により殺害された。当時、趙盾は霊公が自身を殺そうとしたため、他国へと逃れていた。国境を越えようとした瞬間、霊公が死んだという知らせを受けて帰ってきた。

この事件について董狐は記録した。「趙盾が君主を殺した」趙盾は問い詰めた。すると董狐は言った。「貴方が直接殺しはしなかったが、犯人を処罰することもなかった。あなたが最高の責任者であるから、あなたが殺したことと変わらない」

司馬遷の『史記』と左丘明の『春秋左氏伝』が伝える一話だ。中国だけでなく、韓国も歴史を記録することには厳正だった。朝鮮時代、王は史草を見ることができなかった。『朝鮮王朝実録』が高い評価を受ける理由はここから来る。韓国政府が中学・高校の歴史教科書の国定化を確定し、公示した後、「正しい歴史教科書」作りが始まった。

権力を握っている政府が偏向なしに歴史を記録するのは決して簡単な作業ではない。しかし、これがまさに歴史教科書国定化の成敗を分ける絶対基準であることを忘れてはならない。
  • 毎日経済 チャン・バクウォン論説委員 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-11-04 17:28:10




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