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ウヨン、「歌手を辞めようとも…耐えた理由は2PMメンバーたち」


  • ウヨン、「歌手を辞めようとも…耐えた理由は2PMメンバーたち」
「(パク)ジニョン兄さんが僕に必要な良いアドバイスをしてくださいました。客観的に『自分がしたい音楽だけをしては駄目だ』ということを感じました。追求する音楽とともに、誰かにとって慰労となることができれば、それが本当の音楽ではないでしょうか」

グループ2PMメンバーのウヨンは12月15日に二枚目となるソロミニアルバム『別れる時』を発表した。ウヨンが作詞作曲に参加したタイトル曲『ぴたり』は軽快なメロディに別れた後の感性が対比した曲だ。華やかな編曲よりもアコースティックギターが流れ、口笛の音がサビを導く。

「もともとは『僕の涙を止めよう』という内容でした。ジニョン兄さんが別れを前にした男女の立場で歌詞を修正してみろと仰いました。女性が別の人ができて別れをつけるために泣いているのに、『君が泣くから僕は泣けない』という歌詞に変えました。ずっと立体的な雰囲気になったんです」

ウヨンは所属事務所JYPエンターテイメントの首長であり、後輩歌手たちのメンターの役割をしているパク・ジニョンの助けを受けた。

深夜にも互いにメッセージをやりとりし意見を交わした。パク・ジニョンはミュージシャンとしてウヨンを尊重しつつも、補完する部分をアドバイスした。

「ジニョン兄さんがしてくれた言葉をすぐには受け入れませんが、だからといってアドバイスが絶対に間違っているというのも良い方法ではないでしょう。考えが違うときには争うような状況もあります(笑)。アーティストとプロデューサーの関係です」

2008年9月、2PMメンバーとしてデビューしたウヨンはチームでサブボーカルを務めパフォーマンスの一角を担当した。2012年2月には初のソロアルバムを発表しタイトル曲『Sexy Lady』で活動した。翌年に2PMのアルバムの収録曲『This is love』をはじめとして直接音楽を作り実力を積み重ねた。

「作業室で徹夜して家に向かい『20年間釜山で暮らしていた奴がソウルに来てものすごい人気と富を得て、自分の音楽をするまでに10年かかった』という考えになったんです。10年が過ぎましたが、ようやく始まりのようです。少しずつ僕という人間を知っていくようです」

ウヨンの華やかな振り付けと才気溢れる姿は放送を通じて伝えられた。いつでも明るい顔でファンたちと出会ったが、反対に悩みは深まった。「カメラの前に立つ仕事をしているため、とても僕を飾っているという気分でした。正直になるまで時間がかかりました」若くしてスポットライトを受るのと同様に、内面にある声に耳を傾けた。

2PMが活発に活動していた時期にウヨンは停滞した。舞台にだけのぼれば幸福だと思っていた過去もあったが、「芸能人」という仕事に疲れもした。

「とてもつらくてすべて辞めようともしました。耐えることができたたった一つの理由は2PMメンバーたちのお陰でした。僕がつらいと、この人たちを置いていくことはできませんでした。『みんながどうなっても僕は最後まで2PMに残る』と話しました。これからも一緒にやり遂げていきたいです」

簡単に答えを探し出すことができなかったウヨンは先輩歌手たちを訪ねた。負担を持って活動せざるを得ない職業を持った状況で、突破口を探すためだった。5年前に偶然の機会からチェ・ベクホが出演したドキュメンタリーに接した後に口づてを頼りにチェ・ベクホの連絡先を手にした。

「チェ・ベクホ先生が『いつでも来い』と仰ってくださり作業室に伺いました。先生もとても驚かれていました(笑)。でも僕の話を聞いてくださり、快く受け入れてくださいました。本当に生きたいというほどに切実に音楽をする理由を探すために先生とお会いしたんです」

ウヨンは「名品には決して見えない水色のズボンに白いコートを着たチェ・ベクホ先生がとても明るく見えました」と回想した。舞台に立つために飾ることに慣れていたウヨンにとってチェ・ベクホの姿だけでも慰労となったのだ。後輩たちと壁なく対話を交わすことも先輩歌手として進む道を見せてくれた。

「イ・ビョンウ音楽監督とも話を交わしました。兄さんたちや大人たちと会いたかったんだと思います。会うたびに響くものが違いました。短くない時間すくんでばかりいましたが、『もう恐れなくてもいい』という自信を持つようになりました」
  • スタートゥデイ ハン・イング記者 / 写真=JYPエンターテイメント
  • 入力 2018-02-04 11:00:05