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10月3日 天の門が開かれた日


  • 10月3日 天の門が開かれた日
10月3日、開天節。
国慶日(祝日)の名前といっても非常に多いですよね。天の門が開かれた日。ある意味、神武天皇が即位した日である2月11日を日本の建国記念日としたことと似た日です。

開天節を理解するには、檀君(タングン)神話を知る必要があります。檀君は天神の子孫です。非常に簡単に檀君神話を紹介しますね。

桓因(ファンイン)の息子桓雄(ファンウン)が人間の世界を志し、父親の許可を得て、群れ3000人を率いて太白山に降りてきました。その時ちょうど虎1頭と熊1頭匹が近くに住んでおり、桓雄に「人間になること」を祈りました。桓雄はヨモギとニンニクを与えては、「100日の間これだけを食べなさい」と言ったのです。どこの虎が100日間、ニンニクだけ食べて生きることができるでしょうか? 虎は耐えられず、雑食動物である熊だけがニンニクで持ちこたえたでしょう。

熊は人間になりました。それも綺麗な女性に。熊が変身した女性が雄女(ウンニョ)です。雄女は赤ん坊を産ませてほしいと祈り続けたが、一時人間の身体に変わっていた桓雄が、雄女を抱いて赤ん坊を産めるようにしました。その赤ん坊が檀君です。変身したゼウスがアルクメーネーと一緒に寝て生まれたヘラクレスを連想したりもするでしょう。

だからと言ってずっと昔から10月3日を檀君の誕生日として称えたのではありません。1年の農業が終わる陰暦の10月、各家ごとに告祀を行う風習があることはあったが、特に檀君王倹に対する思慕の情を表していたのではないでしょう。朝鮮後期に咸鏡道(ハムギョンド)の一部の地方で陰暦の10月3日、檀君に祭祀を行う香山祭(ヒョンサンジェ)の風俗がある程度なだけです。

陰暦の10月3日を記念し始めたのは、1909年の弘巖(ホンアム)、羅喆(ナチョル)が創教した大倧教の影響が大きいでしょう。大倧教は檀君を教祖と考え、韓民族固有の神として信仰する宗教ですよね。大倧教の経典である三一神誥に、「ハンベニム(神様)が甲子年10月3日、太白山に降臨して…」というフレーズがありますが、これを根拠に開天節が陰暦の10月3日に固定されたんです。

大韓民国政府が樹立した後、国慶日に関する法律を作っていた文教部は悩みに陥りました。当時の雰囲気は、陰暦が非科学的な暦法だという理由で、公式的な場では可能な限り使わないようにしたんですよ。でも、公式の国慶日に陰暦だなんて、話にもならないことだとし、陰暦の10月3日を新暦に換算できるのかと悩みを重ねたが、審議結果、陽暦で計算すれば、日付を指定できないという結論が出ました。

とにかく「10月3日」という日付が重要だという意見が大勢を果たし、最終的には陽暦の10月3日が開天節となりました。大倧教側では陰暦の10月3日を強く押し付けたが、最終的には政府の決定を尊重し、今では陽暦の10月3日、陰暦の10月3日の両方称えています。

以来、陰暦の4月8日である釈迦の誕生日が、法定公休日として指定され、開天節を陰暦の10月3日に定めていないことに対する残念さが押し寄せてきていますね。秋夕(チュソク)の連休を合わせれば、10月には公休日があまりにも多い一方、11月にはタダで遊ぶ日が1日もないためでしょう。実際に公休日が多すぎるとし、1991年から2012年までハングルの日が公休日から除外されたりもしました。
  • O2CNI_Lim, Chul
  • 入力 2016-10-03 08:30:00




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