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韓国Q&A > ドラマの歴史人物、「朱蒙」について教えて下さい。
問題を1つ出します。実は韓国人も苦手な問題です。高句麗王朝の初代王である東明聖王朱蒙の姓氏は?
実際、多くの人々が「朱氏ではないの?」と思っていますが、正解は高氏です。もともとは解氏だったのですが、国を建国して性を変えたといいます。
東明聖王朱蒙の誕生説話をみると、姓が分かります。
朱蒙(チュモン)の父親は天帝の息子の解慕漱であり、母は江の神である河伯の娘の柳花です。
ある日、解慕漱(ヘモス)が弟たちと一緒に遊んでいた柳花を見て惚れてしまい、誘いだして一晩を過ごしたといいます。そして翌日の明け方に一人で亡くなってしまいました。
仲立ちもなく男と一晩を過ごした柳花夫人は家から追い出されます。そしてあてもなくさまよって太白山まで行き、東扶餘の王である金蛙王に出会います。柳花夫人の事情を聞いて、金蛙王は彼女を宮に連れて行きます。
宮にいた柳花夫人がすることがなく座っていると、ふと光が入ってきて体を照らしつけます。いくら避けても光は彼女を追いかけて照らし続けました。その後に柳花は妊娠をして卵を産むのですが、奇妙に感じた金蛙王が豚の餌として与えたり野原に捨てたりしても獣は卵を傷つけようとせず、むしろ保護しようとしました。皮もとても硬く、割ることもできませんでした。
結局、金蛙王は卵をそのまま柳花に返しました。柳花が卵を抱き、やがて卵から生まれたのが朱蒙です。
扶餘の王子は彼を嫌いました。王子たちの悪だくみにより朱蒙は複数回殺される危機にも置かれました。朱蒙は最終的に母親の柳花と夫人、そしてお腹の中の子供の琉璃を残したまま、自分に付いて来てくれる仲間と扶餘を脱出します。
卒本(チョルボン)に行き着いた朱蒙は、高句麗を建国します。当時の年齢は22歳です。卒本の地は当時靺鞨族によく略奪にあう立場だったのですが、朱蒙はそれらを退けて二度と卒本を見くびれないようにし、その地域の王が自身の二番目の娘である召西奴(ソソノ)と結婚させてくれました。
王になったあと朱蒙は周辺の小国を併合し、高句麗の基礎を磨きました。
在位19年になった年に扶餘から息子の琉璃が逃げてきて高句麗の太子になります。そして琉璃が王位に上がったあと、召西奴と彼女の2人の息子である沸流と温祚は南に下りて百済を立てるようになります。
上記の話は三国史記が伝えた内容です。もちろん物語が違う話もあるにはあります。
朱蒙は生まれ方も怪異ですが、死に方も神秘的なのです。三国史記には紀元前19年の40歳のとき死去し、龍山に王の墓を作ったと伝えられますが、死なずに昇天したという説話もとても多いです。
廣開土大王陵の碑石には忽本の東から黄龍に乗って昇天したと記録されており、都城にたくさんの雲がかかって王が玉鞭だけを残して突然消えたという説話もあります。このほかにもキリンを飼いならし、キリンに乗って天に上って行ったとか、沸きあがってきた朝天石を踏んで空に行ったという話も伝わっています。
朱蒙が登場した映画やドラマは多くありません。中国の東北工程に対応して韓国放送界が高句麗を素材にした一連の歴史ドラマを作りながら、たまに登場しただけです。
代表的なものでは、2006年5月から2007年3月まで放映されたMBCドラマ『朱蒙』があります。三つ子の父であるソン・イルグクが朱蒙役を引き受け、2010年に放映を開始したKBSドラマ『百済の王 クンチョゴワン』にも百済の起源を語る場面に朱蒙が登場します。
- Lim, Chul
- 入力 2017-05-23 00:00:00