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江原道山火事「70年暮らした故郷が廃墟に…」


  • 江原道山火事「70年暮らした故郷が廃墟に…」
  • 5日午前、江原束草市永郞洞(ヨンランドン)のある廃車場にあった車が山火事ですべて燃え、惨めな姿をさらしている。近くのチャンチョン村では住宅20棟が火災被害にあい、住民の生活の場が灰になった。一晩で古城・束草地域の山火事は汝矣島の面積に達する森林を飲み込んだ。 束草=イ・チュンウ記者



5日に訪れた江原道束草市章沙洞(チャンサドン)のチャンチョン村は、まるで戦争で荒廃した地域のように沈黙に覆われていた。

前日まで人が住んでいたところだという事実が信じられないほど、ここでは完全に廃墟になっていた。村の入口を守ってきた赤いレンガ造りの家は黒く焼けてしまい、本来の色を見出すことはできなかった。前庭にあった耕運機は鉄の骨だけが残り、かろうじて車輪だけがくっついていた。焼けたLPGボンベはまがまがしく、燃え尽きてしまった家はところどころに首をさし出した梁だけが、そこに家があったという事実を知らせていた。

束草市で最も被害が深刻な場所として知られたこの村は、村の入口に入る前から正体不明の臭いが鼻をついた。村全体に舞い散る桜の葉は灰で汚れ、前日の惨状を想像させた。ほとんど炎が鎮まったこの日の午前まで、防火服を着た消防士は残物の除去作業に余念がなかった。行き場を失った高齢者は被害の回復には思いをめぐらすこともできず、町役場にぼんやりと座っていた。村には消防車と軍用トラック、そしてちらほらと取材車両のみが出入りした。

灰を山の前にした市民らは、途方に暮れた表情だった。住民のシム・スギルさん(66)は家の跡を回りながら信じられないというように、残骸から目を離すことができなかった。シム氏は「2002年の台風ルサのときに家が流されて家を建て直したが、今回は焼けてしまった」とし、「台風の時に政府から融資1000万ウォンをもらってやっと生きてきたが絶望的だ」と打ち明けた。彼は「田植えをしようと積み重ねておい苗代は燃え尽きてしまった」とし、「妻と長男と生涯を生きてきた農村だが、金を得る方途はもうない」と虚脱していた。

村で生まれて生涯を送ったというチェ・ヨンギルさん(76)も「昨日の夜に避難するように言うので着の身着のままで飛び出してきたが、今日の朝に見るとすべて灰になってしまった」とし、「妻と二人で暮らしているが、農業機械もすべて失って食べる米もない」とすすり泣いた。

村の前の倉庫を借りて流通業者に供給する食材を保管していたチャン某さんは、「今回の山火事で食材倉庫が焼けてしまい、1億5000万ウォンの損害をこうむった」と涙を流した。チャンさんは「供給物がないから取引先は他の業者をあたるだろうことは火を見るより明らか」とし、「建物の所有者は建物を基準に補償されれるが、私のよう借主が被った被害に対する補償はきちんと策定されず後回しにされる」と鬱憤をはらった。

ほとんどの住民には前日の恐怖が色濃く残っていた。シン某さん(66)は、「災害の文字メッセージが来た時は気にしなかったが、外のスピーカーから避難するように放送が継続してながれ、家を出たらそれこそ阿鼻叫喚だった」とし、「あちこちから出る煙とどなり声でまるで戦場のような夜だった」と震える声で言った。キム某さん(71)も「一生をこの村で暮らして、こんな大火事は初めて見た」とし、「外がうるさくて出てみたところ町が火の海で、妻の手を握って避難所に逃げていった」と述べた。

尾根にそって勢いを大きくした炎は、海岸のすぐてまえまで火の海にした。東海が一目で見えて観光客に愛されてきたチャンサ港のクタモリ刺身屋は骨組みだけが残った。床には壊れた水槽のガラスの破片がごろごろしていた。建物の所有者のソ・ソクナムさん(52)は、「(4日の)午後8時まで営業していた店が、山火事で一夜にして廃墟に変わった」とし、「一晩中そばで見守って、消防署にも助けを要請したが来てくれず、隣の水槽にホースをつないで水をまいた」と言う。

束草市の市内を行き来する住民も暗い表情だった。前日、道路を挟んで炎が止まったおかげで直接的な被害はなかったが、わずか数時間前に感じた恐怖に言葉を忘れてしまったようだった。たまに強風に乗って越えてくる火魔の匂いに顔をしかめることも。ある住民は「束草市キョドンのアパート密集地に位置するガソリンスタンドまで火が及ばなくて幸い」だとし、「ガソリンスタンドが爆発したら、想像するだけでも恐ろしい」と話した。

この日、避難所で会った市民は一晩中眠れなかったために暗い顔色だった。束草市の生活体育館で会ったソン・ミリョンさん(61)は入院していた束草医療院が煙にまかれて避難所に移った。ソンさんの患者服は灰で汚れていた。ソンさんは「病院のロビーにとつぜん煙がたちこめて、前が見えなくなりはじめた」とし、「救急車が不足して身動きのとれない患者も乗用車にようやく体を押し込んで避難した」と前日の惨状を思い出した。

大規模な山火事が発生して二日目の5日、高城のチョンヂ小学校などには罹災民のための臨時テントなどが建てられた。待避所の外には通信社とキリスト教奉仕団などが罹災民に食料と物品を配っていた。
  • 毎日経済_束草=パク・テウィ記者/シン・へリム記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2019-04-06 09:26:41




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