A. | 国民〇〇 自分がしていることで「国民〇〇」という呼称を聞くと気分はどうですか? 自慢、誇り、優越感、達成感、それとも負担? 他の国はどうか分かりませんが、韓国で「国民〇〇」という表現を使い始めたのはかなり昔のことです。 しかし、人気があるからといって「国民」の称号を聞くことは難しかったです。 「エレジー(悲歌)の女王」と呼ばれた元老歌手、イ・ミジャ(李美子)くらいだったと思います。 公式に国民タイトルをもらった人は歌手のシン・スンフン(申昇勳)です。 1996年、ある芸能週刊誌で彼に初めて「国民歌手」という修飾語を付けました。
雑誌が出た後、彼はかなり負担になりました。当時、韓国の歌手の中でヒット曲も最も多くファン層も最も厚い歌王チョ・ヨンピルが「私は国民歌手になるにはまだまだ」と語っていたのでプレッシャーにならざるを得なかったのでしょう。 ともかくシン・スンフンが「国民歌手」になってから「国民」タイトルは少し使いやすくなりました。1999年のある調査では、ボーイグループのSECHSKIESが国民歌手に選ばれたので「国民○○」称号のインフレーションが少し度を越していました。誰もが好きな歌手や俳優を「国民〇〇」に推戴し始めました。2004年になると誰かが半分ほど冗談交じりに女優のムン・グニョン(文瑾榮)を「国民の妹」と呼び、「国民の母親、国民の父親、国民の妖精、国民の彼氏、国民の弱い人、国民のおばあちゃん、国民の夫、国民のお姉さん、国民の双子、国民のゲーム」など種類も多様になりました。 SBSドラマ『野人時代』に登場する沈影(キム・ヨンイン)は、公演中に襲撃を受け劇場から脱出には成功したものの銃弾をよくない部位に撃たれたため故人となりました。 話がわき道にそれてしまいました。 本題に戻り「国民俳優」の称号を認められた人は実際、数少ないのです。 キム・スンホ、アン・ソンギ、チェ・スジョン(崔秀宗)、ソン・ガンホ(宋康昊)、チェ・ジンシル(崔眞實)、チョン・ドヨン(全度淵)、チェ・ミンシク、そして今回アカデミー賞を受賞したユン・ヨジョンが堂々と合流したのです。 80歳半ばが過ぎてもまだ活発に活動している俳優のイ・スンジェ(李順載)を含める人もおり、イ・スンジェの代わりになんと22年間1088回も放送されたMBCドラマ『田園日記』のチェン・ブラム(崔仏岩)を挙げたりします。2人とも国会議員を務めた経歴があり「国民パパ」リストにも入っています。 映画『嫁ぐ日』で1957年に東京で開かれた「第4回アジア映画祭」で特別賞を受賞したキム・スンホ(金勝鎬)は、息子のキム・ヒラ、孫のクムソンが俳優として活動していたので演技者が家業になったわけです。 俳優のアン・ソンギ(安聖基)は歌手のチョ・ヨンピルとキョンドン中学校の同級生でした。学生時代からの知り合いだそうですが、同級生の一人は歌謡界、そしてもう一人は映画界を席巻したので素晴らしい同級生たちです。 チェ・スジョン、ソン・ガンホ、チョン・ドヨン、チェ・ジンシルなどはあまりにも有名な俳優ですので詳しい紹介は省略いたします。
ただ、ユン・ヨジョンとチョン・ドヨンは少し重なる部分があります。 ユン・ヨジョンが映画『ミナリ』でアカデミー賞をはじめとし、国際映画祭で「国民女優」の称号を受けたように、チョン・ドヨンが「国民女優」と呼ばれたのも『シークレット・サンシャイン』でカンヌ映画祭で主演女優賞を受賞した後だったのです。 そうして、2人とも『下女』に出演しました。2010年、イ・サンス監督によってリメイクされた作品では、チョン・ドヨンが主人公の「新入りの下女」ウニと、ユン・ヨジョンは「先輩の下女」ビョンシクの演技をしました。原作よりずっと劣っていると評価されていましたがユン・ヨジョンは韓国のすべての映画祭で助演女優賞を総なめしました。 チェ・ミンシクは遅れて「国民俳優」の称号を聞いた俳優です。 『オールドボーイ』、『酔画仙』などの作品で、韓国では熱いエネルギーを吹き出す俳優として定評が高かったですが、国際的にはリュック・ベッソン(Luc Besson)監督の映画『LUCY/ルーシー』で今になって認められました。 『LUCY/ルーシー』で彼が演技した暗黒世界を支配するミスター・チャンはカリスマがすごいです。 お腹の中に入っていた新種の麻薬「C.P.H4」が爆発し超人となったルーシーは残りの麻薬の行方を捜すためミスター・チャンの両手に刃物を突きつけますが、その時、チェ・ミンシクの表情では苦痛よりは毒気が吐き出されます。 このため、仮想通貨に投資した韓国の若者たちは「どうか上がってほしい」と切羽詰った状況で望む時、チェ・ミンシクの刺殺シーンを召還します。 |