Q.SBS「次から次へと続く話」で紹介されたパク・インス事件について教えてください

답변게시판
A. ジャコモ・カサノヴァ(カサノバ)
漁色家を象徴する男です。
彼は人と付き合う上で貧富貴賤を問いませんでした。貴族、文学者、科学者、芸術家、女優、貴婦人はもちろん、詐欺師や賎民たちとも付き合いました。気転の効いたひらめきと幅広い知識でヨーロッパ中を徘徊しながら外交官、財務官、スパイなど様々な職業を持っていました。

韓国戦争が終わるやいなや韓国の河回(ハフェ)を騒がせたパク・インスの猟色行為を見て「韓国版カサノバ」と呼ぶことに対してカサノバが怒るかもしれません。カサノバは詐欺を働いたことはありませんし若い女性だけを欲しがってもいませんでした。

「韓国版カサノバ」とも呼ばれるほどの共通点もあります。カサノバの行動が18世紀のヨーロッパ社会の風俗を物語っているように、パク・インスは戦後の韓国社会の変化した倫理規範を示しているという点で非常に似ています。

まず、パク・インス事件の全貌から見ていきましょう。パク・インスは1954年4月から1955年5月まで憲兵大尉を詐称し女子大生をはじめ約100人*を姦淫した容疑で逮捕され裁判を受けました。一審では公務員詐称のみ有罪となり婚姻憑藉姦淫罪については無罪を言い渡されました。 一審の法廷は「法は貞淑な女性の健全で純潔な貞操のみ保護できる」という判決文を残しました。

1審の判決は2、3審を経て覆され結局、懲役1年の刑が言い渡されました。
世間の世論はパク・インスに不利な方向に向かい判決が覆されたと見ていいでしょう。

* 関係を持った女性は100人を超えましたが法廷で取り上げられた女性は69人でした。

貧しい暮らしで中学と高校を何とか卒業したパク・インスは東国大学に入学しました。その後、朝鮮戦争が勃発し大学を中退して海兵隊に入隊しました。憲兵副士官として服務していた時に恋人に裏切られたというのが本人の主張です。恋人の心変わりで苦しんだせいか、女性に対する態度も変わりました。一夜の遊びの対象として見たのです。

彼は海兵隊の軍曹として軍服を脱いだ後、憲兵として服務して身に付けたダンスで処女狩りを始めました。海軍将校倶楽部、国一館、楽園場などのダンスホールを回りながら女性を寝室に誘いました。

ハンサムな外貌で176センチの身長、それにダンスの実力もずば抜けていて多くの女性たちが彼の虜になりました。関係者の多くが女子大生で国会議員や高官の娘も含まれていたそうです。出会いの場所がダンスホールだったので、当時の事情からすると普通の素人の娘ではなかったと見るのが正しいでしょう。

**当時、韓国成人男性の平均身長は160センチ半ば程度でした。

そんな中、女性2人が「パク・インスが結婚を口実に姦淫した」と告訴しました。そうしてパク・インスは法廷に立つことになりました。

パク・インスの裁判が行われた1955年7月22日、ソウル地方裁判所は傍聴客で足の踏み場もないほどでしたが検事が婚姻憑藉姦淫罪で取り上げた女性のうち、裁判所に出廷したのは4~5人だけでした。検事は結婚を約束し貞淑な女性の純潔を汚したとして厳罰に処すべきだと熱弁をふるいました。

パク・インスはそれを否定しました。
「決して結婚を約束した事実はなく約束する必要もなかった。ダンスホールで一緒にダンスをした後は、必ず旅館に行くのがコースで結婚の話を持ち出す理由がなかった。私が会った女性の中で処女は美容院で働くイさん1人しかいなかった」

*** 処女と結婚する確率は1/70という流行語も出ました。

一審の判決を破棄し大法院(日本の最高裁判所)が下した論理は「ダンスホールに通っていたからといって、すべての人々が貞操ではないという前提の下、故意に女性を旅館に誘う男性は悪い」というものでした。

それから半世紀以上が過ぎた今までパク・インスの業績(?)をしのぐ「韓国版カサノバ」は登場していません。パク・インスよりも多くの女性を魅了した男性、逆に多くの男性を魅了した女性がいても現在はこれを問題視したり法廷に持ち込まれる事件ではないためです。

パク・インス事件は米軍が韓国に駐留する際にもたらした西欧の性文化、自由になった性風俗、婚前女性に陳腐な貞操観念を強要した儒教的価値観が衝突した事件です。

世の中は変わったのですが、韓国社会を支配する価値観は古い時代にとどまって二重の価値が衝動した代表的な事件なのです。

そのために多くの女性を泣かせたパク・インスが女性を性の奴隷状態から自由にしてくれたという皮肉な論理を展開する人もかなり多いです。パク・インス事件後、ソウルの名門大学でパク・インスが「女性の敵」か「女性の友軍」かを分ける攻防戦が繰り広げられました。

余談ですが、パク・インスが漁色行為をした1954年、韓国では性のモラルに対する論争が熱かった1年でもありました。この年に出版されたチョン・ビソクの小説『自由夫人』は若い大学生と浮気をした大学教授を描いており、小説が注目を浴びながら大学教授を冒涜する、女性の脱線を助長するという理由で物議になりました。
  • Lim, Chul
  • 入力 2021-08-09 00:00:00

Copyright O2CNI All rights reserved.

目錄


      • facebook icon
      • twetter icon
      • RSSFeed icon
      • もっと! コリア