Q.「次から次へと続く話」に出てくるルームサロン事件について教えてください(上)

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A. 約30年前の1986年8月14日、ソウル江南(カンナム)の大型ルームサロン(ホステス付きの個室クラブ)「ソジン会館」17号室に木浦(モクプ)出身のマンボ派*組織暴力団がお酒を飲んでいました。

ソジン会館がある所は、BIGBANGのV.I(スンリ、勝利) を名前に合わなくしたバーニングサンの近くです。どうやら土地がよくないようです。

*ボスであるオ・ジェホンのニックネームがマンボだったのでマンボ派と呼ばれました。組織暴力団の名前は検察や警察がつけます。組織暴力団は重大な犯罪として扱われるため、組織員たちは組織名をつけることをはばかります。キム・テチョンの汎西方派の傍系組織です。

交通事故で実刑を言い渡されて刑務所に入りましたが、光復節(クァンボクジョル=日本植民地支配からの独立記念日)の特赦で釈放された組織員コ・ヨンスの釈放を祝うために集まった席でした。

オ・ジェホンはもっと上のボス、キム・テチョンに会うために早く席を立ちました。残りの7人が女性従業員を1人ずつ挟んで14人がお酒を飲むには17号室が狭すぎたようです。ウェイターを呼んで「部屋を変えてくれ」と要求しました。

ウェイターが「お客さんが多くてルームがないです」と言うと、一行の中のチョ・ウォンソプが自分たちを無視していると言って暴力を振るいました。チョ・ウォンソプはヘビー級ボクサー出身で、切れ味のいいファイターとして全国的に有名な人物でした。

問題は、この店が柔道を教える韓国柔道大学の前・現職の学生で構成された「ソウル木浦(モクポ)派」の管理対象だったという点です。殴られて血まみれになったウェイターは、16号室で酒を飲んでいたソウル木浦派の組織員に救援を求めました。

**盤浦(パンポ)のアパートで共に寝泊まりしてましたが、アパートの内部から数十の日本刀や手裏剣など凶器が発見されていることを考えると組織を整え準備中の段階と見るのが正しいでしょう。

  • アパートや車から発見された武器



怒ったソウル木浦派のキム・スンギルとコ・グムソクは、「一体、何者だ」と叫びながら走っていきました。そしてチョ・ウォンソプと会いました。

キム・スンギルとチョ・ウォンソプは木浦中学校の先輩後輩の関係です。お互いに挨拶して終わるかもしれない状況でした。キム・スンギルの横にいたコ・グムソクは、そんな気分ではなかったようです。

全国区組織のチョ・ウォンソプの目には、立ち向かってくるコ・グムソクが気に入らなかったのでしょう。柔道をするからといって、自分たちの区域にある風俗店で保護費をもらうことも気に入らなかったはずです。

「礼儀もなく何でにらみつけてるんだ」とコ・グムソクの頬を3~4回殴りながら喧嘩を売りました。

キム・スンギルがルームに行って「コ・グムソクが殴られている」と知らせ、マンボ派の組織員も飛び出してきて2人の組織員がホールで対峙することになりました。

ソウル木浦派の組織員のうち、何人かが足首につけていたナイフを抜き取って持ち上げました。だからと言って怖がるチョ・ウォンソプではないです。

「一回、刺してみろ」

チョ・ウォンソプが、この世を去る前に残した言葉はこの一言でした。

素早くやってきたソウル木浦派の組織員がナイフで左腕を深く切ってしまい隣にいたコ・グムソクもナイフで太ももを刺しました。

行動隊長がやられるとマンボ派の組織員たちは慌てました。一部はチョ・ウォンソプを17号室に連れて行きドアをロックし、一部はトイレに避難しました。

血を見たソウル木浦派の組織員たちは理性を失いました。そこで終わらせることができる状況でもなかったはずです。

トイレに隠れたマンボ派の組織員を倒し17号室のドアを壊した後、手当たり次第、ナイフ、野球バット、鉄パイプを振りかざしました。わずか10分で行われた阿鼻叫喚でした。マンボ派の組織員4人が、その場で命を失いました。

光復節の特赦で釈放されたコ・ヨンスは刑務所の外に出るやいなや死亡してしまいました。彼は特に頭に致命傷を負い裸になった状態で陰部を切られる最も残酷な死を迎えました。コ・ヨンスはソウル木浦派の組織員の姉と付き合ったという話も伝えられていますが、そのためではないかという推測も出されました。

事件を起こしたソウル木浦派の行動隊長、キム・ドンスルとコ・グムソクが死刑判決を受け3年後、刑場の露となって消えました。

事件の主犯として死刑となったコ・グムソクとキム・ドンスルに関する話は次回で紹介します。
  • Lim, Chul
  • 入力 2021-12-14 00:00:00

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