Q.韓国でネズミを捕まえる運動があったそうですが、本当ですか?(下編)

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A. 韓国でネズミを捕るために民官が力を合わせ始めたのは1947年のことです。不足している食糧資源をめぐるネズミとヒトとの真剣勝負でした。

統計数値に多少の差がありますが、1970年当時、韓国には約1億匹のネズミがいて、ネズミが食い荒らした穀物が32万トンに達​​したそうです。韓国の人口1人当たり3匹、1世帯当たり18匹の割合でネズミが存在し、1年の生産量の8~10%をネズミが食べていたという記録もあります。

全国的にネズミ捕りの運動が一斉に行われたのは1970年からです。1970年1月26日の午後6時。この時刻、全国の540万世帯は農林部が無料で配った殺鼠剤(リン化亜鉛)を散布しました。学生には捕ったネズミの尾を提出するようにとの指示も出たりと、とにかく20日余り後に集計をしてみたところ、捕ったネズミの数はなんと4154万119匹に達しました。その年の5月15日に2次作戦が展開されましたが、成果は3200万匹ほどでした。4か月にして7400万匹を捕まえたので朝鮮半島のネズミの相当数を捕まえたと見るべきですが、実態はちょっと違っていました。

危機を感じたネズミは、より熱心に子孫を増やしたのです。71年3月25日の午後7時に「総動員作戦」を展開して目標を8000万匹にしました。目標数値が前年度に比べて少なくなっていないことについて、当時の新聞記事は「ネズミに家族計画はない。生まれてから十日後に目を開き、目を開いてから二か月後には発情して交尾をする」とネズミの繁殖力を詳細に紹介しています。

薬を飲んで死んだネズミを食べて非業の死を遂げたオオカミやキツネなどの野生動物が急速に減少する事態も発生し、人を捕る薬に化けたりもしました。政府が配った殺鼠剤が青酸カリや苛性ソーダの代わりに自殺用に使用され始めると、一時は困ったことをする人に「殺鼠剤でも食べて死んでしまえ」という悪口が流行ったりしました。

映画館では映画を上映するというベルが鳴るや否や、米の代わりに小麦粉を食べようという粉食を奨励する内容と一緒にネズミを捕ろうというプロモーションビデオが放映されました。近所のあちこちに「ネズミが太って人が飢えた」であるとか「一家で一匹だけでも捕まえたら数万人が生活できる」というポスターが貼られ、田舎の村では町内会長が拡声器に向かって「ネズミを退治してこそ、豊かに暮らせる」と大声をはったりしました。

ネズミを捕る方法も多様化しました。ネズミ捕り器は基本であり、ネズミが好きな魚の頭に苛性ソーダを噴いておいてネズミを誘引し、時には棒で殴って捕まえたりもしました。最も一般的な方法は殺鼠剤でした。

ところが、殺鼠剤も長く使えば効果が落ちるもです。1964年にリン化亜鉛剤が登場するまでの代表的な殺鼠剤は人や家畜に害のない「ワルファリン」でした。ところが、リン化亜鉛剤の登場以降、リン化亜鉛剤による家畜の被害が止まらず、ネズミにもリン火亜鉛剤のにおいに慣れて、あまり食べなくなりました。政府はネズミがよく食べる殺鼠剤を見つけるのに苦労した末に、米国で開発されたRH-787成分の新薬である「Vacor」を輸入しました。韓国で「白虎(ベッコ)」という商標がついた新型殺鼠剤は、米国で流通する前に韓国で初めて発売され、政府は1975年4月30日の「全国ネズミ捕り運動」に合わせて無料で配布しました。

人が食べても問題ないという宣伝を信じて試しに食べた中華料理店の従業員が死亡するなど、「白虎」によって、78年に流通が停止されるまでになんと109人が死亡するという惨事が起きました。

全国民が命を懸けて戦い捕えたネズミは単純に殺して埋めたり燃やしたりもしましたが、毛皮を作って輸出したりもしました。いわゆる「コリアンミンク」コートです。ネズミの毛で作られた毛皮の生産は長続きしませんでした。

これは、1980年台に南米から連れて来て育てた「怪物ネズミ」ヌートリアも同じでした。農家でヌートリアを飼育しようとしましたが、農家はまもなく放棄してしまいます。農家から脱出したヌートリア洛東江の水辺に生息し、信じられないほどの繁殖力で生態系を破壊したため、最近ではヌートリア捕りに熱を上げる人も出てきました。1匹につき3万ウォンの褒賞金を受け取ることができるため、多く捕まえることができれば、結構いい稼ぎになります。

参考までに、最近韓国で流行している「ネズミ捕りの歌」の翻訳した歌詞を紹介します。女子学生が一人で、またはカップルで出てきて歌うのですが、振付を添えた姿がかなり可愛いです。(ちなみに「猫踏んじゃった」のメロディです。)

ネズミソング

ネズミが一匹が ネズミが二匹が ネズミが三匹が 四匹が 五匹が
ネズミが六匹が ネズミが七匹が ネズミが八匹 九 十匹

すべてで十匹 いや二十匹 いや三十匹 四十匹 五十匹
いや六十匹 いや七十匹 いや八十匹 九十匹 百匹

その時ニャーニャー 猫が出てきた
その時ニャーニャー 猫が怒ったさ

その時逃げていった ネズミが逃げていった
ネズミがどこまで逃げて行った 私も知らない
そうだネズミの穴だろう そうだネズミの穴だろう
すべてネズミの穴に入って隠れてしまった

  • < 70年代のソウル市庁前にはためく運動ポスター 「みんなでネズミを捕まえよう」と謳っている >



  • < ネズミ捕り運動が盛んだった時代の最も代表的なポスター >

  • Lim, Chul
  • 入力 2015-02-27 00:00:00

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