A. | ※この記事は「今回のIUの騒動はなぜ起きたのでしょうか(4)」の続きです。 下のティーザー映像の中でもロリータコンセプトが現れているという主張が続きます。
最後に、小児性愛と批判する側が提示する、口紅のにじんだ写真を見てみましょう。
たとえ少数ではあれ、IUとロリータをマッチングさせて批判する声は以前からありました。おそらく出版社が「ZeZe」を問題視していなかったなら、「Twenty-Three」に対するネットユーザーの「ロリータコンセプト借用非難」はさざ波に過ぎなかったかもしれません。どういう意図であるかは分かりませんが、出版社が非難に合流して、オンライン上で起きた小波が荒波に変わった格好となりました。 まず、この点から明確にすべきです。 映画や本でも『ロリータ』を見たことがなく、○○○級のポルノはもちろん、大人のためのビデオを見ない人ならIUのアルバムから特別な兆候を見つけられない可能性がより高いことでしょう。特にキャットフードとミルクが置かれた写真からSMプレイを連想する人であれば、普段から、この方面に関心を持ってたと考えるしかありません。忙しい一般人が連想しやすい内容ではないからです。 そのような意味で、チン・ジュングォン教授が言った「ポルノの見すぎ」という言葉は、的を得ているように感じます。 「Twenty-Three」のビデオに対するネットユーザーのロリータコンセプト非難の件は、脇に置いておいて、出版社が問題視した「ZeZe」だけをみるとき、まったく問題にするべき部分がないというのが筆者個人の判断です。木の穴は、特に過度の拡大解釈で、アルバムがイメージを借用した『ふしぎの国のアリス』のウサギの洞穴だと見ることが正しいでしょう。 ZeZeが網タイツを履いてピンナップガールの姿勢をとったのは確かです。しかし、それがどうだっていうのでしょうか。『私のライムオレンジの木』がZeZeという子どもを通じてかかれた自伝的小説なのであれば、アルバムの「ZeZe」はIUの自伝的な歌です。アルバムのZeZeは5歳の子どもではなく、IU本人という意味です。 不思議の国への冒険に旅立とうとする、いや、冒険の末に再び家に帰ってきて、幸せな笑顔を作るIUだと解釈しても十分だというのが個人的な考えです。アルバムの地図は『ふしぎの国のアリス』であり、『私のライムオレンジの木』は、その中の一部にすぎない。このような観点から見ると、IUがZeZeという曲を書いたきっかけ、愛らしくありながらも、時にはわがままな悪童のような姿から、セクシーな性質を感じるというZeZe、自分もそのように自由な魂でありたいという願望を込めたと見ることができるのではないでしょうか。 「ZeZe」に対する非難を取り除いたとしても、IUがロリータコンセプトを使用したというすべての非難を取り除くことは難しいようです。まだ「Twenty-Three」に対する非難は有効だからです。 ※この記事は「今回のIUの騒動はなぜ起きたのでしょうか(6)」へ続きます。 |