Q.今回のIUの騒動はなぜ起きたのでしょうか(6)

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A. ※この記事は「今回のIUの騒動はなぜ起きたのでしょうか(5) 」の続きです。

IUの騒動が一段落しながら、マスコミは騒ぎにより得をしたのは出版社とIUだけだという結論を結びます。

良くも悪くも人々に狙われた作品が売れるということは、ノイズマーケティングが通じるという話です。そのようです。このように解釈すれば、今回発売されたIUのアルバムの中で最も問題作となったのは、最も人気のある曲だという解釈も可能になるかもしれません。

アルバム『CHAT-SHIRE』に収録された曲の中で、11月25日現在、音源チャートの最も高い位置にある曲は「Twenty-Three」です。メロンでは10位、カオンでは4位と、まだ10位以内に入っています。マスコミでは「ZeZe」が最も騒がれましたが、ネットユーザーが最も問題と見なしたのは「Twenty-Three」のミュージックビデオだったため、ノイズマーケティングの成果を単純に代入したら、不思議なことに合っている気がします。

もちろん、まだ主流メディアの関心は、出版社が問題を提起した「ZeZe」です。去る21~22日の2日間、ソウルオリンピック公園でIUが単独コンサートを開きましたが、一部のマスコミはIUが「ZeZe」を歌うのかどうかが、関心を集めたというふうに報道しました。

IUが「誰かにとっては十分不快な内容として聞こえる可能性がある」との認識を示した後でも、コンサートの5番目の曲として「ZeZe」を歌ったことが、​​騒動に対するIUの答えだと解釈しました。

歌詞ではなく、アルバムのアートワーク、ミュージックビデオの映像に対して、多くの問題が提起されたため、歌を歌うからと大したことではなく、さらにコンサートは熱心なファンだけが集まる場なのに、そこにで「決して小児性愛の対象にはしなかった」という曲​​を歌うことが、なぜ大事なのか分からない人々もいるでしょう。

ややもすると、拡大解釈すれば、「ZeZe」を聞いて熱狂する人すべてが小児性愛者扱いを受けるのではないか、という心配も浮かんではきます。

メディアは、IUの小児性愛コンセプト議論を、表現の自由と芸術的タブーの対立という2分法的な見方で扱っています。ところが、議論の終着点が見えないため、こっそりと抜けてしまいました。

そうです。小児性愛論争について音楽家や評論家、知識人、マスコミ(もちろん大衆も含めて)は、表面だけを触って、深く踏み入ったりはしなかったのです。

いくら途方もないテーマであっても、歳月の前では色あせてしまうもので、IUをめぐる議論も近いうちにうやむやになってしまうことでしょう。ポータルサイトで進んでいたIUの音源廃棄請願も3万7千人を集めたあと、ページが消えてしまい、音源廃棄を再推進するというもう一つの請願が上ってきている状態です。再推進の署名には57人が賛成の意を表しました。

これが実状です。IUの歌、イラスト、ミュージックビデオについて小児性愛論議の中心にいた選手たちが舞台から退場してしまったのです。選手たちは、あるいは大衆の知性、または大衆の感性、または大衆のかすかな記憶を刺激して、自分たちの主張を打ち出しました。そうするうちにIUを擁護する人々は、小児性愛まで認める自由主義者、IUを批判する人はヒトラー式の全体主義と罵倒される脅威を感じたかもしれません。

考えてみれば、論争から抜けた知識人たちが激しく対立したわけでもありません。マスコミも誰の言葉を重要視するべきなのか強調したりもしませんでした。 SNSとコラム、そしてインタビューを介して非常に短く、自分の主張を言っただけです。大衆の記憶には「表現の自由」と「小児性愛」がいまだに取り除かれていない霧のように残っているだけです。

この記事を書きながら「ZeZe」と「Twenty-Three」の歌詞を10回は読んだ気がします。IUの批判論者には申し訳ないですが、私自身は、彼らが主張する「Twenty-Three」の歌詞「私は、永遠に子どもでいたい。いや、水気のある女でいたい」からロリータ的な何かを感じることはできませんでした。

IU議論を見守っていて、ふとトニー・レオンとタン・ウェイが熱演した映画『ラスト、コーション』が思い浮かびました。暗殺しようとした男性と恋に落ちた女性、その運命のような愛を描いた映画を見終わった観客たちの頭には「本当にしたんだろうか」という疑問だけが残ったことでしょう。

制作者と監督にそのような疑問を引き起こす意図があったのでしょうか。そうかもしれませんね。IUにおじさん、お兄にいんファンに愛されている少女歌手として残り続けたい欲望があったのでしょうか。そんな欲望を「ZeZe」や「Twenty-Three」の歌詞に込めたのでしょうか。そうかもしれませんね。

「俳優たちが、実際にした」からといって、『ラスト、コーション』をポルノとして扱うことができないように、IUの作品に小児性愛と解釈する余地があるからと、これを小児性愛のコンテンツだと決めつけることはできません。だからといって「本当にしたのかな」と疑問を持つ観客を罵ることができないように、小児性愛だと感じた人々の感情も非難することはできません。これは、IUがアイドルスターとして背負わなくてはいけない荷物と言えるでしょう。
  • Lim, Chul
  • 入力 2015-11-25 00:00:00

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