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星の光夜行 - 景福宮「知って行くとより輝く」
3/20~4/14に文化財庁が進行する「大長今と一緒にする景福宮星の光夜行」
< 勤政殿とソウル城郭、写真= MKスタイル >
< 雲が描いた月明かり、写真= MKスタイル >
景福宮星の光夜行シーズンが再び戻ってきた。来る20日から4月14日まで文化財庁が進行する「大長今(宮廷女官チャングムの誓い)と一緒にする景福宮星の光夜行」は、以前の景福宮夜間解説探訪に宮中料理体験、伝統公演などを加えて異色的な楽しみを加えた。
星の光が輝く夜空の下、仁王山の裾の下に位置する景福宮は非常に印象的な風景。照明を受けた五色丹碧は「雲が描いた月明かり」を抱いて明るく輝いている。韓服を着て遊びに出てきた人々の線細かいスカートのラインは、宮廷の屋根の軒のラインとそのようによく似合うものがない。< 品階石の前で写真を撮っている、写真= MKスタイル >
< 石垣の前で韓服を着て写真を撮る恋人、写真= MKスタイル >
< 景福宮乾川の夜景、写真= MKスタイル>
ただ見ても美しい景福宮だが、星の光夜行を控えて景福宮に対する歴史的関心も高い。星の光が地球に届く時間のように、500年朝鮮の美しさと品位を知っていくと、より輝くためだ。
1395年9月に建てられた景福宮は、朝鮮を建国した太祖・李成桂が無学大師に新しい都の物色をさせ、開京から漢陽に都を移して建てられたのだが、ここには1つのエピソードが伝えられている。
無学大師は、現在の往十里の近くを都の土地として内定したが、ある日牛を率いた老人に「愚かな奴。ここから西北に10里を行けば良い都の土地が出る」という叱責を聞いた。老人の言葉通りいかにもそこは明堂であり、太祖王は1395年9月にその場に景福宮を建立した。< 景福宮の全景、写真= MKスタイル >
< 仁王山と景福宮の柱、写真= MKスタイル >
今年でちょうど624年目になった景福宮は朝鮮の正宮だったが、壬辰倭乱の時に燃えてしまった後、その役割を果たせず、興宣大院君が大々的な再建事業を繰り広げて壮大な宮殿として再誕生させた。しかし、すぐに日本の侵奪でほとんどの建物が移転したり、解体される不運を経験し、1990年から復元作業が行われた。今も2030年までに2回の復元事業を進めている。振り返ってみると宮殿のあちこちが生気なく感じられるが、光化門から始まり、興礼門、勤政門、勤政殿につながる宮殿の重要な部分は、謹厳ながら格調と品位を備えている。これまでの痛い傷をこっそり隠してくれる春の夜とその場を満たしてくれるの星の光と一緒に景福宮に行ってみよう。< 光化門の前で韓服を着て写真を撮る人々、写真= MKスタイル >
▶ 大長今と一緒に景福宮星の光夜行
住所:ソウル市鍾路区社稷路161
期間:2017年3月20日~4月14日- MKスタイル 文・写真=ユン・ギュシク(旅行作家) | 入力 2017-03-21 09:42:18