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もっと! コリア (Motto! KOREA)
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  • Q.
    アメリカに移民する韓国人は多いですか
  • A.
    今は事情が少し変わりましたが、1980年代末まではアメリカは韓国人にとって約束の地でした。
    他人から羨ましがられるような人たちは待遇を受けて威張れる韓国を去るつもりは全くなかったでしょうが、中流階級にとってアメリカは夢のような所でした。

    たくさん行く行かないでではなく、行けなくていらいらする所、それがアメリカでした。

    現在、アメリカに住んでいる韓国人はおよそ200万人です。
    いつこんなに多くの人が韓国を離れてアメリカに移住したのでしょうか。

    * 在外同胞財団の資料によると2015年現在、在米韓国人移民者は246万人。混血の家族を合わせれば、その数はさらに増えるものと推定されます。

    在米韓国人の米国移民者は約4段階に区分されます。

    移民の歴史を初めて書き始めた韓国人は、20世紀初めにハワイに行ったサトウキビの労働者たちです。

    1903年1月、約100人の韓国人がパイナップルとサトウキビ農場で働くためにハワイで荷物を解き、1905年まで7000人以上の韓国人が生活の基盤をハワイに移しました。移民労働者の多くが若い男性です。女性が恋しく家庭を築きたかったでしょうが仕方ありません。

    在米韓国人社会が独身男性たちの仲介のために率先して動きました。苦労して韓国の未婚女性たちの写真を手に入れ、未婚の男性たちに紹介しました。互いに写真だけを見て結婚を約束したと言って、当時ハワイに渡った女性たちを「写真新婦」と呼んだそうです。1924年までにハワイに行った「写真新婦」は、およそ1000人ほどになります。

    労働契約が終わった後、移住労働者には2つ選択の道がありました。韓国に戻るか、アメリカ本土に行くか。多くの労働者たちがアメリカ西部行きを選びました。LA(ロサンゼルス)など、アメリカ西部に在米韓国人が最も多く住んでいる理由でもあります。労働者の他にアメリカに渡った韓国人は留学生と政治亡命者です。第2次世界大戦が終わった1945年まで、アメリカの韓国人社会はハワイに6500人、カリフォルニアなどアメリカ本土に3000人ほどだったというため、それほど多い方ではありませんでした。

    次の段階は、在韓米軍と密接な関係があります。
    米軍政と朝鮮戦争を経て約4万人の米軍が韓国に駐屯することになり、米軍と結婚した韓国人女性たちが夫とともに米国に渡りました。米軍の配偶者として移民した韓国人女性は1950年から1964年までに6000人、2000年までに合わせると10万人に達します。
    1960年代にはアメリカ国内の韓国人の42%を占めるほどでした。

    米軍の配偶者とともに、この当時アメリカに行った韓国人は戦争で親を失った孤児たちです。

    海外養子縁組事業が活発に推進されました。1960年代までは孤児、そして1970年以降からは未婚のシングルマザーの子供たちが養子に送られましたが、1954年から2000年まではおよそ10万人の子供たちがアメリカの家庭に養子として迎えられました。

    これとともに1965年までに約6000人の留学生が米国に渡ったのですが、彼らのほとんどは学業を終えた後も米国に留まっていました。

    1965年が分岐点でした。これまでアメリカ政府が維持してきた民族別クォータ制が廃止されたからです。アメリカの移民法が変わると米軍の妻や、留学生としてアメリカに根付いた人々が家族を招待し始めました。

    1970年代に入り毎年約3万人がアメリカに移住し、1985~1987年の間には年に35,000人がアメリカに移住しました。韓国はメキシコとフィリピンの次にアメリカにたくさん移民した国に選ばれました。アメリカに移民した韓国人の数は1987年に35,800人でピークを迎え、その後徐々に減り始めます。

    • LAのコリアンタウン



    当時、アメリカに移住した韓国人はほとんどが中流階級でした。韓国ではホワイトカラー職種に属した人々です。しかし、アメリカでは言葉の壁によりアメリカの主流社会に属せず、クリーニング屋やスーパーなどの自営業を営み経済的基盤を固めました。

    ニューヨークやLAなどの大都市に在米韓国人タウンができ英語ができなくても食べていくのに支障がないということも、アメリカの移民に一役買ったはずです。

    最近も依然として少なくない韓国人がアメリカへの移民を夢見ていますが、1970~1980年代とは様相が少し違います。家族招待形式の移民の代わりに就職や投資移民が増えホワイトカラー職種に属した移民者が減る一方、ブルーカラー職種に属した移民者が多くなる傾向**です。

    財力が豊かな人々は投資移民でアメリカの永住権を獲得します。彼らにはアメリカの永住権が「第2の人生保険」と呼ばれます。最小投資金は90万ドルです。これを5年以上維持しなければならず、このお金で10人の雇用創出が行われれば永住権が発給されます。

    ホワイトカラー職種はアメリカより韓国で金儲けがしやすいと思うからでしょうか。