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[コラム] イム・ソンギ薬局の思い出

  • ソウル市の鍾路5街には薬局が並んでいます。50年前からこの通りは薬局の問屋が陣を張っていた場所です。

    70歳を超えて生涯の夢をかなえた韓美薬品のイム・ソンギ会長が事業を始めたところも、ここです。中央大の薬学部を卒業したイム・ソンギ会長が自分の名前を掲げた薬局を開いたのは27歳の時でした。主力商品は淋病などの性感染症の治療薬でした。

    当時、ソウルの街には電柱があちこちに立っていて、鍾路の電柱には薬局を宣伝するシールがべたべたとついていました。イム・ソンギ薬局のチラシもそこの一角を占めていたことでしょう。

    ベトナム戦争の特需で韓国経済が成長街道を歩み始め、ベトナムから他人に知らせるには少し恥ずかしい病気を持ち帰った兵士はもちろん、社会初心者、大学生など、多くの若者が同じ病気でトイレに行くことを怖がりました。当時は医薬分業のような大それた話が出てくるずっと前であるうえ、保健所などの公共医療分野も不十分だったため、病気にかかった若者は薬局の方隅、調剤室でズボンを握ったりしていました。

    需要がすごく多かったので、薬局ごとに「性病特効薬入荷」なんて宣伝文句も掲げられていました。イム・ソンギ薬局は性感染症治療薬でお金をたくさん稼ぎました。本人の名前を冠した薬局でしたが、知らない人は「ああ、その方面に詳しい人なのかな」と思ったりもしました。実際にベトナムで梅毒にかかった患者を治療しながら「私の名前がソンギではないか」(韓国語では性器と発音が同じ)と患者を安心させたという逸話も伝えられています。

    とにかく、イム・ソンギ会長は、性感染症の治療薬で稼いだお金で製薬会社を作りました。最初の会社名は「イム・ソンギ製薬」でしたが、しばらくして商号を韓美薬品に変えました。薬局で事業を始めただけに、薬局を対象にした営業力は業界最強と​​いう評判を聞いていました。

    性感染症の治療薬で稼いだお金で製薬会社を作り、製薬会社で稼いだお金を新薬開発に注ぎ込みました。韓国の製薬業界で売上高の10%をR&Dに使った会社は7社に過ぎないのですが、韓美薬品が2014年1年間で研究開発に注ぎ込んだお金は1525億ウォンと、売上高の20%に達します。

    R&Dは投資と投機の境界線にあるのかもしれません。ややもすると、会社が破綻するかもしれないからです。韓美薬品もそのような危機がありました。 2010年、史上初めて会社が赤字を出したのです。

    「投資を削減して、とにかく利益を出そう」という内外の激しい要求を蹴って研究開発に投資しました。バイオ医薬品の薬効持続時間を伸ばす技術を開発して、フランスのサノフィ(Sanofi)社に39億ユーロ(4兆8000億ウォン)で売ることができたのは、イム会長のこのような粘り強さがあったおかげでした。

    古希の年齢に、このような進取的な経営をすることは容易ではありません。人でも企業でも年を取れば現実に安住して、楽で安全な道を行こうとします。歳をとるにつれて無駄な欲はどれだけ増えるでしょうか。

    韓国でも高齢者が財産を握りしめ、一銭でも得ようとする姿を見て、老欲と皮肉ったりします。そのような面からも、イム会長が見せてくれた歩みは特別です。

    彼は、自分が保有している韓美サイエンスの株式90万株を従業員2800人に無償で分けてあげました。1人当たり平均4000万ウォンに達する株式に、月の給与の2倍を現金で支給しました。

    「会社がR&Dに投資して苦しいとき、給料が凍結されたときにも辛抱してくれた従業員にとって慰めになれば」というのがイム会長が株式を分けながら明らかにした感想です。

    イム・ソンギ会長は韓国財界ではなかなか見かけない創業1世代です。上場企業の株式富豪上位10人のうち、唯一の創業者でもあります。創業世代の胸には貧困が宿命のように思われたときの韓国の姿が込められています。

    頭で知ることはできても胸には伝わりにくいその経験、韓国経済界の一角で創業2~3世代の相続人が韓国の躍動性を鈍くするという叱責を謙虚に受け止めてくれたらと思います。
  • O2CNI_Lim, Chul | 入力 2016-03-01 08:00:00