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[コラム] 官邸を去る朴槿恵前大統領

  • 朴槿恵(パク・クネ)前大統領にとって、青瓦台(大統領府)は自分の家でした。1952年、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領とユク・ヨンスの1男2女の中で1番上の娘として生まれた彼女は、父親がクーデターで政権を掌握し、第5代大統領に当選した1964年から青瓦台で暮らし始めました。

    10代のほとんどを「令愛(ヨンエ)」という呼称で青瓦台で過ごした彼女は、西江大学を卒業した後、フランスにしばらく留学に発ったのですが、ユク・ヨンスが狙撃されて息を引き取り、青瓦台の女主人になりました。22歳で夫人の役割を引き受け始めたのです。大統領の娘として、ファーストレディーとして、青瓦台で暮らしていた年月がなんと15年にもなります。

    1979年10月、朴槿恵は仕方なく青瓦台官邸を空けなければなりませんでした。朴正煕元大統領が側近に狙撃されて息を引き取ったためでしょう。父親が死んだという知らせを聞き、「前方には異常ありませんか?」尋ねたというエピソードを残し、彼女は2人の弟と一緒にソウル新堂洞の旧家に戻ります。

    2012年の大統領選挙の勝利で朴槿恵は、34年ぶりに青瓦台に戻りました。
    幼年時代の香りがにじんだところ、父親の思い出のこもったところでしょう。父親の血がついたネクタイとワイシャツを洗いながら涙を流したところでしたね。

    もしかしたら青瓦台に足を踏み入れた大統領の朴槿恵は、乾いていない涙の跡を見たのかも知れません。
    父親を狙撃した側近、自宅で弟たちと法事をしながら訪れない側近に対して感じた背信感が涙の跡に投影されたのかもしれません。

    なおさら朴槿恵は、自分のそばを守ってくれたチェ・テミンとチェ・スンシル(崔順実)に対する感謝の気持ちを持ったでしょう。彼らの有難さで再び自分の家に帰ってきたという気もしたはずですから。

    朴槿恵は任期中、官舎より官邸にいるのが好きだという話を聞きました。セウォル号沈没事故で、学生たちが息を引き取っていく中でも、官邸で報告を受けました。

    青瓦台官邸は、「家と同じくらい快適な所がない」という家でしたからね。凶悪なことが起こる時、心が揺れて安定していない時、精神を整えるところでしょう。

    今、朴槿恵は官邸を去らなければなりません。憲法裁判所が国会の弾劾決定を受け入れ、大統領職から罷免したため、また再び自意ではなく、他意で青瓦台を去ることになりました。

    これからどこに行きますか?

    彼女は大統領に当選する前の23年間、ソウル江南区三成洞に住んでいました。一般市民であれば、暮らしに不足のない数十億ウォン台の高級住宅ですね。しかし、どこに青瓦台官邸だけでしょうか?

    住民たちは、彼女が旧家に戻って来るのを歓迎するでしょうか? 一挙手一投足の世話を受けなければならないのに、人は十分でしょうか? もう周りにチェ氏一家もいないのに、誰に頼って生きるべきですか?


    • < ソウル三成洞の朴槿恵前大統領の私邸 >

    青瓦台は、弾劾が受け入れられることに備え、私邸周辺の建物の価格を調べて行ったといいます。写真を見ればお分かりでしょうが、警護するのが大変ですよね。周辺一帯をすべて買い入れない限り、デモ隊が声を上げれば睡眠もしっかりと満たされないでしょう。

    いろいろな点を勘案し、朴元大統領側はソウル近くの京畿道に私邸を構えることに方針を立てたという話が聞こえます。まず、三成洞の家を売らなければならないでしょう。若干の警護のほかに一切の優遇がなくなった状況で家を売り、新しい家を建てて引っ越しをするのが容易ではないでしょう。信頼できる側近は皆、刑務所にいる状況ですからね。

    聞こえる話では、当分の間、三成洞の私邸の代わりにカトリック大聖堂や仏教の寺で過ごす案も検討しているそうです。空の下、ゆったりと足を伸ばして横になる場所を探すのが容易ではないでしょう。

    空高いところから落ちるほど、痛みはさらに大きいものでしょう。父の暗殺、代を継いで韓国の大統領にり、弾劾という不名誉を抱いた朴槿恵前大統領が、痛みを忘れる方法は何でしょう?

    これは、朴槿恵の個人的な問題というより、弾劾以降、韓国社会が直面した問題でもあります。彼女の痛みを治癒する方法が韓国の保革の葛藤を壊し、避けた心を縫合する道であるためです。

    前職大統領として国民に最後に奉仕する気持ちで、朴槿恵大統領自ら、痛みを治癒する方法を見つけてほしいです。「青瓦台官邸は私の家ではなかった」という考えが治癒への第一歩ではないかと思ったりもします。
  • O2CNI_Lim, Chul | 入力 2017-03-12 08:51:00