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[コラム] 李起鵬一家の惨事を反面教師にして

  • 半世紀ほども前の1960年4月28日、韓国では何が起きたのだろうか。

    この日、自由党政権によって強制廃刊されたが後に復刊した「京郷新聞」は、若い詩人高遠(コ・ウォン)氏の文章を載せた。

    自らを落伍者だと明らかにした彼は、指導者がいないことを嘆く人々にこのようなメッセージを投げかけた。

    「私たちに現在必要とされているのはとびぬけた一人の英雄ではなく、最も民主的で実情に合っており、歴史を見通す立派な制度だ。人物はまず清廉であり誠実で、健全な常識があればそれで十分だ」。

    あるいは彼の言葉は、大統領選挙の街道を疾走する候補者らが今でも心に刻み、候補の中から一人を選ばなければならない有権者も参考にすべき言葉だ。

    筆者はこの日に起こった事件をもうひとつ紹介しなければならない。

    この日、李承晩(イ・スマン)前大統領は景武台(現在の青瓦台)を出て、私邸である梨花荘へと居所を移した。前日の「4.19革命」で多くの死傷者が発生するやいなや、国会に辞表を出した状態だった。景武台を出て梨花荘まで歩いて行くと言い張った。市民らに自分の姿を見せたいという欲望がうずいたのだろう。側近らが制止したからと、自分の意志を曲げる人物ではなかった。

    • <「西大門景武台」と呼ばれたソウル市鍾路区新門内路17、李起鵬の家の跡地には4.19革命記念図書館が建っている >

    うわさを聞き付けた市民が道路にあふれ出ると、首都警備を担当していた歩兵15師団長の説得でようやく車で移動した。

    不正腐敗が最も深刻だと国民の非難を受けた皇室財産事務総局として新たに発令を受けた吳在璟(オ・ヂェギョン)局長はこの日、李承晩大統領が下野するなら自分もこの座をもはや守る理由がないと判断し、辞退すると報告しに向かう途中で李起鵬(イ・ギブン)一家の惨事の知らせを聞いた。彼はすぐに景武台に駆けつけて、検死が開始される前に現場を見た。呆然としていた彼は、検死官が来たときに我に返って涙をこぼしたそうだ。

    李起鵬一家は学生や市民のデモが激しくなると、西大門の家(現4.19革命記念図書館)を空けて景武台の官舎36号室に避難していた状態だった。4月28日未明、李承晩大統領の養子として入籍した長男の康石(ガンソク)の銃によって一家全員がこの世を去った。

    康石は父の李起鵬と母パク・マリア、弟のイ・ガンウクを順番に撃って自殺した。

    とにかく現場を見たオ・ヂェギョンは嗚咽した。その後、「国を任された者としては、そうしてはいけませんでした。しかし間違ったことを死で清算した決断は殊勝だと感じます。その恐ろしい決断に尊敬する気持ちすら湧きます」と語った。

    彼は続けて一言を加えた。「世の中では多くの人が、自分の過ちに対して責任を負わず恥ずかしく生きていることを見ているではありませんか」。

    韓国は偉大な指導者は必要ないのかもしれない。しかし自分の一言に、行動の一つに責任を持つ指導者が必要だ。一挙手一投足のすべてに責任を負う姿勢であれば、一言を語るときにもそれだけ慎重になるだろう。
  • O2CNI_Lim, Chul | 入力 2017-05-01 09:06:00