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[コラム] 4.19と5.18-あまりにも違った軍人の姿

  • 1960年4月19日、その日は血の火曜日だった。前日、高麗大学の学生たちが不正選挙に抗議し国会議事堂まで繰り出してデモを起こし、学校に戻る道で政治やくざに襲撃を受けるや、ソウル市内の高校生と大学生が立ち上がった。

    学生デモ隊は警察阻止線を破り李承晩(イ・スンマン)が寄居した景武台に前進しているところだった。警察がデモ隊に向かい照準射撃を加えて先頭に立っていた学生たちが銃に撃たれて倒れる。この日ソウルだけで104人(警察3人含む)が亡くなった。警察の一斉射撃の前で拳で耐えることができなかったデモ隊も武装を開始した。

    武器倉庫を襲い武装したデモ隊は警察と銃撃戦を起こした。戒厳軍と警察に追われ高麗大の裏山で最後の抵抗を準備する状況に陥った。このときに奇跡のようなことが起きた。

    • 4.19革命当時、戒厳軍の戦車にのぼるデモ隊



    当時、ソウル地域の戒厳を担当していた陸軍15師団師団長のチョ・ジェミ准将はたった2名の副官だけを帯同しキャンパスに入った。学校の講堂にずらりと置かれた遺体の前で丁寧に弔意を表したチョ将軍は学生たちを説得した。全員が武器を捨て、戒厳軍に連行される形で解散、4.19革命当時最悪の流血事態が起きる危機を防いだ。

    その当時ソウルに進駐した戒厳軍は厳正な中立を守った。発砲しなかっただけでなく、市民たちに可能なかぎり被害を与えないように気を使った。軍は李承晩政権を守る手先ではなく、真に国民の軍隊だった。

    このような軍が20年経った1980年になぜ市民に銃口を向けて無慈悲な殺人の道具となったのだろうか?

    5.18光州民主化運動に対する米国の関連性を粘り強く探査報道してきた米国記者Tim Shorrockはこんな質問を投げかけた。

    「なぜ空輸部隊は一般市民を残酷に虐殺したのでしょうか?なぜ全斗煥(チョン・ドゥファン)はこの残忍な暴力事態を命令したのでしょうか?」

    彼は4.19と5.18間にベトナム戦争が入っていることに注目した。全斗煥をはじめとした政権を掌握した軍人たちはすでにベトナムで血を味わった軍人だという説明だ。良民とベトコンを区別することが難しかった記憶が光州で蘇ったという意味にも解釈できる。

    そして月日が過ぎ、2016年朝鮮半島のあちこちで市民の手に持たれたろうそくは、平和に不当な権力を権力の座から引き下ろすようにしている。韓国史のあちこちで血を分散させた聖なる魂のおかげで民主主義が正しく位置づくことになった。
  • O2CNI Lim, Chul | 入力 2017-08-15 08:30:00