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[コラム] 経営承継の模範を示してくれたLG

去る時を知って、後継を育てるのは指導者の最後の課題 

ロッテグループの王子の乱を見て、ふとLGグループの具滋暻(ク・ジャギョン)名誉会長が思い出された。早目に経営の一線から退いて忠清南道の天安市にある農場に埋もれて暮らし、母親の味噌の味が懐かしいからと故障の名前を冠した「水郷味噌・餃子」を作って売る、中小企業の社長になった方だ。

彼は農場に客が訪れたときにだけオフィスにエアコンを稼動して、直接開発した食品をもてなすなど、質素な農村生活を送っている。彼の経営する水郷食品の売上高は2009年に100億ウォンを突破したというのだから、経営者の本質は隠すことができないようだ。

ク・ジャギョン名誉会長について触れるのは、農場での日課について話そうという意味からではない。「拍手する時に去れ」という言葉を文字通り実践した数少ない、現在繰り広げられているロッテとは全く違った歩みを見せた人物だからだ。

1995年2月、彼は70歳の時に楽喜金星(現LG)グループの株主総会を控えて会長職から退いた。会長は長男の具本茂(ク・ボンム)会長が受け継いだ。ク・ジャギョン名誉会長と一緒にグループを育てるために汗を流したホ・ジュング(許準九)、ク・ピョンフェ(具平會)、ク・ドゥフェ(具斗會)氏など、創業世代は皆、その座から退いた。

このような伝統は、すでに1969年に確立されていた。創業者の具仁會(ク・インフェ)会長が亡くなると、故人の弟である具喆會(ク・チョルフェ)楽喜科学(現LG化学)社長は、創業者の遺志である「長子継承」の原則を守って、ク・ジャギョン副社長を会長に推戴した後、自分は引退をする。

ク・チョルフェ氏は兄とLGグループを創業した人だから、彼が欲張っていれば経営権の承継にイザコザが生じたことだろう。具氏一家と許氏一家が力を合わせて作った会社だから、経営権をめぐる騒動はさらに激しかったことだろう。

ク・ジャギョン会長の引退は「時が来れば退くのが道理」という美しい伝統が再現されたものだ。ク・ジャギョン会長は任期中にも70歳になれば引退すると口癖のように言っていた。そして約束を守った。退任の理由として「上体が重く現場に通うには無理がある」と明らかにしたが、農場で働いている健康状態をみると、健康が主な原因であるとは思えない。

ク・ジャギョン会長の退任は57年をともにした具氏と許氏の分離過程で再び光を放った。そもそもLGグループは、許氏が資本を、具氏側が経営を担って成長した企業であるため、財産を分ける基準を定めることは簡単ではなかった。

兄弟でもない相舅の財産分割が簡単なはずがない。グループを分けた結果を見ると、具氏一家がLG電子と化学、通信を、GSはエネルギーと流通、建設を獲得した。LGが未来を担う業種であれば、GSは今すぐに現金が入ってくる粒ぞろいの事業だ。

具氏側では、当然のことながら現金になる事業をすべて与えるなんてと反発した。しかし、ク名誉会長は「ほしいというものを与えなければ、争うしかない」と一喝して、許氏側の要求をすべて飲むように指示した。

韓国の昔の言葉に、縁を大切にして、「一度付き合ったら別れずに、別れても背を向けて生きるのはやめよう」という言葉があるが、このような格言を実践した模範事例として挙げるに値する。

指導者の徳目の一つは、後継者を育てることだ。後継者の選択だけでなく、継承過程をスムーズに進めることも指導者の課題だ。

93歳の辛格浩(シン・ギョクホ)会長について長男は「父親の健康は異常なし」と父の肉声録音をマスコミに流し、次男は「父の健康がおかしい」と対立する局面を見ると、「去る時の重要性」を改めて感じる。
  • O2CNI Lim, Chul
  • 入力 2015-08-09 09:00:00




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