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コラム > FOCUS > [週末ユーモア] あれの目にはあれだけが見えるらしいが
高齢の韓国人がよく使う言葉の中に、このような一言があります。
「あれの目には、あれだけが見えるというが」
本来は「豚の目には豚だけが見えて、仏の目には仏だけが見える」という昔のことわざです。
IUのロリータ騒動を見守っていると、上の言葉が頭に浮かんできます。あえてIUをかばうつもりはありませんが、非常に非常に綿密に歌詞と写真を分析する人々を見ると、「IUとロリータをつなげるために、彼らはどれほど多くのロリータ物を見たのだろうか」という気もしました。
もしかしたらです。ただロリータに関連する写真や作品、アクセサリー、表情、髪型、服装はこういうものだという辞書的な知識だけ持っているのかもしれませんが。とにかく、少しはロリータについて勉強をしてみて、識見を持っている必要があるのは明らかなので、こんな考えが浮かんだのです。
それぞれ自分なりに解釈することに留まらせていたら、どうなっていたのだろうか、という物足りなさは残ります。
このような複雑な世界には、笑いが一番の栄養になります。「自分なりの解釈」の決定版、韓国の小学生の数学問題の解答を見せてあげましょう。
問題)次の図形が四角形ではない理由を書いてください。
学生の答え)元は四角形だったのに破れたから
間違った答えでしょうか。
先生は間違いだと色鉛筆で線を引いています。
合っていることにしてくれていたら、本当に素晴らしい先生だったのにと考えてたとき、大学時代の恩師を思い出しました。
四字熟語の空白を埋める試験問題に、「夫婦有○」が出題されました。正解は、ご存知ですよね。そうです、「別」です。ところが、学生の一部が「別」の代わりに「愛」と書いて提出しました。教授は苦心の末に正解として処理しました。「別」があなたと私がお互いに違うことを知り、知ってこそ深い「愛」を分かち合うことができるという意味で捉えたのです。
学生にこんな深い考えはなかったことでしょう。突然、別という漢字が思いつかず、愛を書き入れたのでしょう。そうだとしても、採点する人の立場ではそうではないというのが、教授の考えだったそうです。
ある女学校で起きたことだったのですが、黒板に何かを書いている男の先生のズボンが破れてて、敗れた隙間からきれいなピンク色のパンツがチラリと見えたそうです。私でも笑ってしまいそうなものですが、学生たちもやはり笑ってしまいました。
先生が振り返って「授業時間に笑ってはいけない」と厳粛に話し、再び黒板の前に立って力を込めて書き始めたのですが、ピンクのパンツがまた見えたため、生徒たちは手で口を塞いで笑いを我慢しようとしたのですが、「クククッ」と笑う声があちこちから漏れてしまいました。
先生がついに怒りました。「笑うなと言っただろう、笑う奴より笑わせた奴の方が問題だ、誰だ!誰が笑わせたんだ?!」