トップ > カルチャー > 韓国探訪 > 「魅惑の南道紀行」儒学の伝統受けついだ新安郡「智島」

「魅惑の南道紀行」儒学の伝統受けついだ新安郡「智島」


全羅南道の新安郡(シナンぐん)の島嶼のうち北部圏の中心である「智島(チド)」は、現在の新安郡智島邑の本島だ。他の島の名前は大部分が島の形や色との関連が多いが、智島は智恵の「智」を島の名前として用いる。島だが内陸部に近く、文化レベルが非常に高かった地域として知られている。

  • 「魅惑の南道紀行」儒学の伝統受けついだ新安郡「智島」
  • 智島から見た夕日。智島は荏子面(イムヂャめん)と曽島面(チュドめん)など、新安郡北部圏の島を結ぶ交通の要地だ。 ⓒMKスタイル



智島は内陸と近く「ユベイン(流配人)」がたくさん来たことから島の人々の儒学的伝統が最もよく残っている場所で、「智島郷校(ヒャンギョ)」や「頭流壇(トゥルダン)」などの文化遺跡がある。

  • 「魅惑の南道紀行」儒学の伝統受けついだ新安郡「智島」
  • 智島郷校。ほかの地域の郷校に比べると歴史は浅いが、島の村に設置された郷校という特色を持っている。 1984年に全羅南道文化財資料第111号に指定されている。 ⓒMKスタイル



  • 「魅惑の南道紀行」儒学の伝統受けついだ新安郡「智島」
  • 「頭流壇」の「五先生碑」。頭流壇は智島に流刑になり、多くの影響を及ぼした「重菴 金平黙(チュンアム キム・ピョンムク)」の死後に、門徒と湖南の儒林(儒学を信奉する人々)たちが先賢を称えるために造成した祭壇だ。 ⓒMKスタイル




  • 「魅惑の南道紀行」儒学の伝統受けついだ新安郡「智島」
  • 一心寺(イルシムサ)の極楽殿。韓国の伝統寺院第83号に指定されている所で、韓国戦争中に戦没した軍人と警察を含む護国英霊の位牌を祀った寺院だ。 ⓒMKスタイル




  • 「魅惑の南道紀行」儒学の伝統受けついだ新安郡「智島」
  • フチョン村の「チャンスン」。 1917年に木に建てられたが、チャンスンが腐ってから村に飢饉と事故が頻繁に発生したという。以後、住民が3度にわたって立てた後に村は平安になり、豊年がきたと伝えられている。 ⓒMKスタイル



智島には新安郡水産物流通センターがあり、周辺の水産物商圏の拠点となっている。周辺海域ではマナガツオとニベなどが多く獲れて、住民は農業と海苔養殖、塩田などに従事する。

  • 「魅惑の南道紀行」儒学の伝統受けついだ新安郡「智島」
  • 智島のソンゴン販売場に集まった塩辛。 ⓒMKスタイル



  • 「魅惑の南道紀行」儒学の伝統受けついだ新安郡「智島」
  • 智島のチョマム船着場から船に乗れば荏子島(イムヂャド)に行くことができる。 ⓒMKスタイル




  • 「魅惑の南道紀行」儒学の伝統受けついだ新安郡「智島」
  • 現在は智島と荏子島を接続する連陸橋を建設中だ。 ⓒMKスタイル




  • MKスタイル文・写真/イ・ガンイン(旅行作家)
  • 入力 2018-01-03 17:43:11




      • facebook icon
      • twetter icon
      • RSSFeed icon
      • もっと! コリア