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ソウル国立現代美術館、平凡な生活と呼吸を合わせる美術館に

ソウルの心臓部・三清路の威厳ある古参の代わりに風景のように定着 

  • ソウル国立現代美術館、平凡な生活と呼吸を合わせる美術館に
  • 写真提供=ナム・グンソン 写真作家

フランス・パリのルーブル美術館、スペインのビルバオ美術館、アメリカ・ニューヨークのグッゲンハイム美術館...。

建築物が地域を代表する「顔」になった代表的な事例だ。それだけに華麗で壮大だ。国内に目を向けると、国立現代美術館果川館にしても神殿のような厳粛さがある。

しかし、昨年11月にソウル市鍾路区三清路(サムチョンノ)に開館した「国立現代美術館ソウル館」は、一見すると美術館らしくない美術館だ。2万7264平方メートルの敷地に延べ面積5万2125平方メートル、地下3階~地上3階の規模で建てられた。設計は「エムピアート(mp_ART)建築士事務所」(代表ミン・ヒョンヂュン)があたった。ソウル館が位置する三清路は、朝鮮建国以後、600年を超える年月のあいだ大韓民国の心臓の役割を果たした。ソウル館のある場所は、朝鮮時代の「宗親府(チョンヂンブ)」や1980年代の「国軍機務司令部(Defense Security Command)」の建物など、生きた文化財のようなアクの強い建物が地主のように鎮座しているので、主人公になることを敢えて放棄した。設計コンペで地域の新たなアイコンになるよりも、周辺の建物や風景が引き立つように「背景」になるとしたほど。

したがって外観からして控えめだ。実際にはひとつの建物だが、まるで3つのかたまりに分かれたように見える。小柄な周りの建物に威圧感を与えないように、近隣にある「先在美術館」サイズで建物を分け、斜めに配置したためだ。

長いあいだ隙間なく取り囲んでいた塀も、すべて崩して「武装解除」した。このために他の美術館とは異なり、ソウル館はメインの入り口と出口が別になく、前と後さえも不確かだ。美術館の場所に「大通り」まで用意した。足が向く方へ歩いているといつの間にか外の道につながって、美術館を出ることになる。

建物の外壁は凹面の「牝瓦」模様になったテラコッタパネルでぎっしりと囲んだ。光が当たる曲面と曲面が出会ってさざ波が寄せるようで、影を落とすと凹凸パターンがさらに際立って見える。低層階はガラス張りで施工し、内部がひろびろと見える。

ミン・ヒョンヂュン代表は、「宗親府と似合うように、慶尚北道安東(アンドン)の屏山書院(ビョンサンソウォン)の‘晩対楼(マンデル)`を現代的に再解釈して建物をデザインした」とし、「現代建築は洗練美を強調するために露出コンクリートなどを使うが、暖かい感じを与えるために粘土で焼いたテラコッタパネルを用いた」と説明した。美術館マダン・図書館マダン・景福宮マダンなど5つに達する大小のマダン(庭)は、建物の外部と内部を有機的につなぐ。

  • ソウル国立現代美術館、平凡な生活と呼吸を合わせる美術館に
建物の外観のために単純明瞭な内部を想像するが、実際の内部は驚くほど躍動的だ。美術館内部の動線に秘密が隠されている。一般的に美術館は線でつながり、観覧客は誰でも例外なく同じ動線を描くことになる。ビュッフェレストランで食事を取りそろえるように、前の人に沿って一糸乱れずに動く。しかし、ソウル館はこのような動線を捨てた。展示場を「群島型」に配置した。展示場が海に浮かぶ大小の島のように独立して存在しつつ、網で互いに結ばれているすがたをデザインに反映したわけだ。

一見すると観覧客は右往左往するようだが、「自分だけの動線」を作って動く。ミン代表は、「ルーヴル美術館は与えられた道に沿って、受動的に行動するように動線が組まれている」とし、「作品と観客との間に平行線が引かれ、前後ろから人に押されて作品に没入するのが難しい問題がある」と語る。ミン代表は、「作品を全身で感じなければならない現代美術は、観覧客がわずらわしくでも主体的に動線を選択する必要がある」と付け加えた。団体旅行よりも個人旅行が記憶に長く残るのと同様の理屈だ。

キャンバスが大きくなる現代美術作品を納めるために、天井を最大限に高くした。美術館の中心空間である地下1階「ソウルボックス」展示室と第5・6展示室の間に置かれた長い廊下の天井は、カラフルな色鉛筆を並べたように華麗な色をまとった。展示作品が目立っように白色系でデザインされた展示室と対比される。ミン代表は、「若い作家たちが実験的に作品を展示して、国際的に成長できる踏み台を用意するために作成した空間」だと話した。

わが国に国立美術館が生まれたのは1969年だ。景福宮のなかのささやかなスペースに景福宮美術館が生まれ、1973年には徳寿宮に美術館機能が移された。「間借り暮らし」だっただけに、本格的な美術館としての機能を遂行したのは1986年に果川国立現代美術館が設立されてからだ。しかし、都心から遠く離れた美術館は、大韓民国の現代美術を代表するには力不足だった。ソウル館は2010年に建築設計コンペを始め、2012年に着工して昨年6月に工事を終えた。

ミン代表は、「ソウル館はスケジュール帖に記録するべき特別な経験ではなく、昼食時に暇を見つけて出かけて展示の一部だけ見ておき来週にまた来る、景福宮や北村・西村の韓屋村を鑑賞しに来たがちょっと立ち寄る…など、平凡な生活と呼吸を合わせる美術館になってほしい」と語った。
  • 毎日経済_イム・ヨンシン記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2014-08-22 16:05:49




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