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カルチャー > カルチャー > 映画『82年生まれ、キム・ジヨン』…女性の時間を見つめる
ベルギー出身の映画監督シャンタル・アケルマンの『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン』は息子を育てる売春女性の物語だ。刺激的に扱われやすい設定だが、カメラは主人公が息子を食べさせながら、料理と掃除をする日常を淡々と追いかけていく。彼女がジャガイモの皮をむく姿を数分間映し出すロングテイクショットは、この映画を特徴づける名場面として挙げられる。女性の時間は絶対に些少なものや、副次的なものではないという宣言だった。
映画『82年生まれ、キム・ジヨン』の意味はここにある。累積100万部を突破して、すでに多くの人たちが読んだベストセラーをあえて映画化する意義だ。カメラはキム・ジヨン(チョン・ユミ)が洗濯物を取り込み子供のおむつを替えながら家事をするときや、公園でぼんやり座っていたり、ベランダで一日の癇癪をしずめる姿までを逃さず見つめる。カフェにちょっと休み出たが、「マムチュン」という声を聞くキム・ジヨンもまた、24時間を激しく生きていく存在だというわけだ。
主な素材は「憑依」だ。子供を産んで仕事を辞めたキム・ジヨンは、ときどき自分の母親や祖母が憑依したような姿を見せて、夫テヒョン(コン・ユ)を心配させる。名節に一人で台所仕事をしながら、姑に向かって「サブイン、私も娘にあいたい。娘が来る時間なら、私の娘も送ってくださるべきでしょう」と実家の母の立場になって抗弁する。テヒョンを片思いしていたジヨンの大学の先輩に変わってジヨンを擁護したりもする。つまり「憑依」は話者を1980年代生れのキム・ジヨンから、韓国全体の女性に拡張する装置であるわけだ。
憑依以外にも映画には女性が日常で差別に直面したときに見せる表情が含まれている。女子トイレに不法撮影カメラが設置されていた事実を発見したとき、能力のある女性チーム長が男上司の前で自分の権利を主張した後に「ドゥセダ(強情だ)」というひと言で整理される時がそうだ。観客らは複数の韓国女性が日常的に経験する差別と排除を間接的に感じることになる。
したがって、この作品が楽しいかどうかは各自が生きてきた時間に応じて答えが分かれるようだ。男性主演のギャング映画があふれていた韓国映画界で、ヒーローでも残酷な犯罪の犠牲者でもない平凡な女性主人公の日常に沿った作品が上映されるという事実だけで、誰かにとっては十分に慰労と楽しさを与えることができるだろう。小説に比べて夫と父、弟をできるだけ肯定的に見つめようとした点も目を引く。映画評論家のユン・ソンウン氏は「今回の映画は男性も家父長制の被害者であるということを示している」とし、「単に男性を非難するよりも社会構造的な部分に視線を向けるようにする作品」だと評した。
一方、似たようなトーンの話を並列配置するのは、映画としてのこの作品が持つ弱点だ。きっちりと組まれたプロットを期待する観客であれば、この作品の叙事が同じ場所でぐるぐる回るという印象を消し去り難いだろう。家父長制を冷笑していた小説とは異なり、映画は希望的なメッセージをあちこちに挿入し、作品の末尾で公益広告の感じがするほど好き嫌いが分かれるところだ。
原作者のジョ・ナムジュ氏はキム・ジヨンを演じたチョン・ユミに対し「ベストキャスティング」だとし、「この役割には本当によく似合う顔」だと評価した。彼女の言葉のように、1983年生まれのチョン・ユミは「82年生まれ、キム・ジヨン」を演技するには最適なイメージを持っている。派手さよりは現実的なキャラクターに扮して親密なイメージを積み重ねてきた彼女は、今回も感情を抑え込むことに慣れたキム・ジヨンを表現するために非常に節制された演技を見せてくれる。
作品は熱い論争を呼んでいる。映画の評価アプリケーションワッチャとポータルサイトDaum(ダウム)「82年生まれ、キム・ジヨン」評点にはすでに最下点を与えるネチズンが殺到している。チョン・ユミは主演にキャスティングされたという事実が知られてすぐ、誹謗中傷のテロに苦しめた。
大衆文化評論家のキム・ホンシク氏は「小説のジェンダー葛藤が映画にも移った。キャプテンマーベルがそうだったように、評価テロは興行を支援する焚き付けになる」とし、「極端に反対の行為はむしろ結集効果を生むため、製作陣と広報が興行のために活用することもある」と説明した。映画評論家のキム・ヒョジョン氏は「3、4年前に独立映画の中でブームを起こしたフェミニズムメッセージがいまや商業映画にまできている」とし「まだフェミニズム的な映画に対する拒否感を持っている観客が多いが、制作・上映本数が増えればけっきょくなくなる問題」だと予想した。『82年生まれキム・ジヨン』の損益分岐点は160万人であり、来る23日に封切りする。 12歳以上観覧可。