Q.韓国の連続殺人犯について教えてください(上)

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A. 2004年から2006年春の間、ソウルと京畿道(キョンギド)の住民を恐怖に陥れた2人の連続殺人犯がいます。

ユ・ヨンチョル(柳永哲)とチョン・ナムギュ(鄭南奎)の2人は、競争でもするかのように殺人を犯しました。
今日はまず、韓国人にサイコパス(Psychopath)という言葉を刻み込んだユ・ヨンチョルに関する話をお伝えしましょう。

全羅北道(チョルラプクト)高敞郡(コチャングン)で生まれたユ・ヨンチョルは殺人を犯す前も窃盗、強姦、暴力で刑務所に出入りするかのように汚された人生を送っていました。

1993年に結婚した妻との間に息子ができ写真館で働き平凡な家長になったのかと思いましたが1998年には公務員詐称、未成年者の強姦で刑務所に収監されました。刑務所にいる間、妻から離婚されることになります。

  • 2000年に未成年者への性的暴行で拘束され現場検証を行う姿



これに恨みを抱いたユ・ヨンチョルは刑務所を出てから妻を殺害しようとし手当たり次第に殺人を犯そうと心を変えたといいます。家族にも暴力を振るっただろうという予想とは裏腹に「世の中で最も怖いのが息子の声だ」と言うほど、息子を極めて大事にしていたそうです。

連続殺人行為は2003年9月11日に刑務所を出所してから13日後に始まりました。ソウル江南区(カンナムグ)新沙洞(シンサドン)に住む大学教授夫婦を鈍器で殺害しました。夫婦を殺した後、指紋や足跡の可能性がある場所を緻密に拭いてから抜け出しましたが、財物には全く手をつけませんでした。殺人そのものが目的だったことが分かります。その後、半月も経たないうちに鐘路区(チョンノグ)旧基洞(クギドン)に駐車管理員のコ氏の家に入り彼の妻と80代の老母、肢体障害を患っている30代の息子、そして孫を殺害しました。そして1週間後に江南区三成洞(サムソンドン)の2階建ての家に侵入し老夫婦を鈍器で殺害しました。この時からメディアは連続殺人が起っていると報道し始めました。

彼が殺害した人が20人に上るため、いちいち説明すると長すぎていくつかの事件は除外します。

2004年4月に起こした露天商のアン氏(44歳)殺人事件は、最初から殺人が目的ではなかったようです。バイアグラや淫乱なCDを売る露天商に偽造した警察手帳を見せながら詐欺を働く目的でした。しかし、露天商の取締りで頻繁に警察に出入りしていたアン氏が不審に思うと自分の行動がばれることを懸念したユ・ヨンチョルに殺されてしまいました。4人兄弟の長男のアン氏が殺され残念ながらアン氏の家庭は大混乱に陥ってしまいました。2番目と一番下の弟は自殺を図り、3番目の弟も自殺を図り九死に一生を得たと言います。

ユ・ヨンチョルの連続殺人は2004年3月から7月まで極に達しました。麻浦区(マポグ)新水洞(シンスドン)と麻浦区老姑山洞(ノコサンドン)のオフィステルを転々とし、テレフォンクラブやマッサージ店の女性(従業員)を呼び出して殺害した後、遺体をバラバラにして野山や新築工事現場の周辺に埋葬しました。従業員連続殺人事件は映画『追撃者』(2008年公開)のモチーフになりました。

電話で女性を呼び出し路上や旅館で会い偽造した警察官の身分証と手錠を見せながらオフィステルに誘引して殺人を犯しました。 DNA検査で身元が判明するのを防ぐため11人の女性のうち1人だけが関係を持っただけで残りの女性はシャワーを浴びせた後、浴室に入りハンマーで頭を殴って気絶させナイフで首を切って即死させたそうです。

一般的な連続殺人犯とは異なり被害者の死の間に見られる恐怖や驚愕する感情表現を楽しむ代わりに死体の脳髄をミキサーにかけたり、肝臓や子宮、陰部を切り取ったりする猟奇的な行動をとったのです。

ユ・ヨンチョルは捕まえたのはポドパン(韓国の派遣型風俗店)の事業主たちでした。特定の番号からかかってきた電話に出た女性たちがいなくなると数人のポドパンの事業主が集まり「誘引してこいつを捕まえよう」というアイデアを編み出したのです。不審に思った番号から「若い女性を送ってほしい」という電話がかかってくると事業主は警察と同行した末に逮捕することができました。ユ・ヨンチョルが殺人行為を白状したのも事業主たちの暴行と執拗な追及のおかげでした。

「○○を殺したでしょ?」、「チャン○○も殺したでしょ?」と具体的に尋ね執拗に追及する事業主たちを警察だと勘違いしたユ・ヨンチョルが自服してしまったのです。彼らが警察ではないことを知ったユ・ヨンチョルは、その時から言い逃れようとしましたが、ユ・ヨンチョルに暴行された運転手を捜し出すなど物証が少しずつ発見されて犯罪行為を明かすことに至りました。

  • 2004年7月15日、検挙当時の姿

マスクをつけた理由は検挙過程であまりにも多く顔を映すと拷問捜査と誤解される恐れがあるためマスクで隠したそうです。

ユ・ヨンチョルを逮捕した後、警察は機知を働かせて連続殺人犯を逮捕したと自画自賛しましたが、逮捕過程の全貌が明らかになり重い懲戒を受けました。ユ・ヨンチョルにかかっていた褒賞金5000万ウォンのうち、半分の2500万ウォンだけがポドパンの事業主5人に支給されました。罠の役割をした勇敢な女性は一銭も受け取ることができませんでした。

警察は情報提供者に対し「報道機関と接触しないように」という緘口令を出しましたが、結局、一つ一つ暴かれながら恥をかくことになったのです。

死刑判決を受け刑務所に収監された後もユ・ヨンチョルの悪事は続きました。刑務官に「お前一人殺しても、僕はどうせもう死刑だ」と言って、お湯を沸かしてくるように理不尽な要求をしたり暴行したり上手くいかなければ自害する騒動を起こしたそうです。

刑務官だけでなく刑務所に収監されている受刑者にとっても恐怖の対象です。彼は刑務所に入った後、収監者をざっと見渡し「この中から組織暴力団1人と経済事犯1人を連れていく(死刑になる前に殺す)」と宣言したそうです。組織暴力団は鼻で笑いましたが、水火も辞さずに飛びかかるため恐怖を感じたでしょう。
  • Lim, Chul
  • 入力 2021-08-11 00:00:00

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