Q.韓国の代表的な未解決事件を教えてください。(下): 大邱硫酸テロ事件・咸平毒ビビンバ事件・金浦空港爆弾テロ事件

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A. 上編と中編では韓国の3大未解決事件をご紹介しました。今回はその他にも、韓国人の間で話題になった未解決事件を簡単に紹介します。

金浦空港、お金カバン事件

1984年8月10日午前11時頃、金浦空港の公衆電話ボックスの横に茶色のバッグが捨てられて放置されていた。警察が調べてみると、服や化粧品などが含まれており、遺失物センターに保管した。

午後4時頃、金浦空港に電話がかかってきて、自分を王氏だと紹介した人が韓国語で「ここは台湾だ。金浦空港の捨てられたバッグに10万ドルが入っている。誰かがお金をこっそり持っていこうとして、置いていった。私は彼らに恨みがあって教えている。上手く処理してくれ」と言った。

以来、バッグを再確認した警察は、包装された箱に10万ドルがあることを確認した。紙幣には、昭和59年という印が押されており、日本のヤクザ組織に関連する資金ではないかと捜査したが、いまだお金カバンの主は明らかにされていない。

観徳亭殺人事件

1997年、済州市内観徳亭の近所、昔の裁判所庁舎の解体現場で全裸の女性遺体が発見された。顔をはじめ、全身に殴打の痕があり、乳頭が無くなっており、陰部が破壊された凄惨な状態だった。

被害者は、近くの居酒屋で働いていた32歳のコ某氏で、居酒屋の女将と一緒に夜明けに帰宅していた途中、暴漢に襲われ女将は血だらけにされたまま放っておかれ、コ某氏を工事現場に連れて行って殺害したと推定された。

警察は後に犯行現場の近くで強姦未遂などを犯したキム某氏を犯人として逮捕し、犯行一切の告白を受けたが、法廷でキム氏が殺人容疑を否認し、事件は再び迷宮の中に落ちた。

大邱硫酸テロ事件

1999年5月、大邱で習い事に向かっていた6歳の少年キム・テワン君が突然黒いビニール袋を持って現れた正体不明の男から硫酸テロに遭った事件だ。顔に硫酸を注いだため全身に3度の火傷を負い、失明した。想像を超越する苦痛に苦しんで入院した49日後に、最終的に敗血症で死亡した。

被害児童は、死亡直前に犯人としてチキン家のおじさんを指摘したが、彼は無罪を主張して、警察もしっかり捜査をせず加害者を特定することができない点だけを強調している。

大川子供連鎖失踪事件

1991年8月16日、保寧市大川洞のキム某氏の生後2か月の赤ちゃんがいなくなった。村の住民が総動員されて捜索を始め、村はずれの畦で軽い打撲傷を受けた状態で発見された。

このことがあってから6か月後の92年2月16日、同じ村に住んでいたカ某氏の生後15日の赤ちゃんが消えた。再び町が騒然となり調査に乗り出したところ、数時間後に赤ちゃんを見つけた。しかし、寒い冬であるうえ、生後間もないため、肺炎などの合併症で亡くなってしまった。

4か月後の6月4日、同じ村に住むユ某氏の4か月の娘が行方不明になった後、全身にあざがある状態で発見され、病院に運ばれたが亡くなり、再び3か月後の9月8日、産後のケアをしていた母親の生後6日の赤ちゃんが行方不明になった。村人が総動員されて、しらみつぶしに探したが、この赤ちゃんは結局見つからなかった。

そして事件が忘れられた頃の1994年8月16日、同じ町で鉱山労働者の仕事をしていたキム某氏の家で夜中に寝ていた5歳の娘が行方不明になった。調査の結果、夕方6時に村から6キロメートル離れた水田で裸の状態で死亡したまま発見された。

この事件は、カエル少年の事件に埋もれて非公開で捜査が進行され、遺体が発見された後も、剖検が遅く行われるなど、警察の捜査に抜け穴が多かった。2009年に時効を控え、事件について再評価が行われたが、積極的な再捜査までは至らなかった。

咸平毒ビビンバ事件

2012年1月、全羅南道咸平の敬老堂で高齢者6人がご飯と、各自持ってきたおかずでビビンバを作って食べた後、倒れた。病院に搬送された後、5人の状態が好転したが、72歳のおばあさんは、二日後に死亡した。

国立科学捜査研究院の調査結果、米飯から農薬として使われるメソミル(methomyl)成分が検出され、警察は誰かか故意に入れたものと判断して捜査に乗り出したが、事件は迷宮に陥ってしまった。

春川交番所長の娘殺人事件

1972年9月27日、春川駅前交番の所長の10歳の娘、某Jちゃんが家の近くの漫画店に行くと言った後、二日後にあぜ道で裸で発見された。子供は強姦をされた後、殺害されたように見えた。

大々的に捜査に乗り出した警察は漫画店主のチョン・ウォンソプ氏を逮捕して犯行の自白を受けた後、起訴してチョン氏は無期懲役を宣告された。以来、15年を服役した後、模範囚として特別赦免されたチョン氏は、警察が自分を拷問して作り上げた捜査で犯人にしたと再審を請求した。

チョン氏の再審請求は、ソウル高裁と最高裁で棄却されたが「真実と和解のための過去史真相委員会」が調査に乗り出し、警察が証拠を造作したことが明らかになった。警察が決定的な証拠として出した鉛筆も造作されたものであり、さらに現場で見つけた加害者の血痕はA型で、チョン氏のB型とは異なっていた。

さらに、証人を偽造するためにビリヤードの女性従業員を脅迫、彼女が警察の嫌がらせを避けるために裸で脱出していたことも明らかになった。新しい証拠により、再審が行われ、チョン氏は無罪を宣告された。そして、最終的に2011年の最高裁で無罪を宣告した原審を確定し、チョン氏は、40年間の恥辱を洗うことができるようになった。

この事件で、警察と検察が無実の人を犯人として作り上げたたせいで真犯人は永遠に埋もれてしまった格好になった。

延嘉七年銘金銅如来立像盗難事件

1967年10月24日、徳寿宮の美術館で特別展示していた高句麗時代の遺物である国宝119号の仏像が消えた。仏像があった場所には、「世界記録のために、24時間で戻す」と、青い色のボールペンで書かれたメッセージが残されていた。

犯人は午前11時、文化財管理局長に電話をかけ、自分が盗んだと打ち明け、ソウル明洞の喫茶店に「生活が困難で一時的に盗んだ。すぐに返す」というメモも残した。そして、その夜、再び電話をかけ、「金だと思って盗んだが、金でもなく、貴重なものであることを知ったため返す。漢江鉄橋の枕木の間に隠しておいたので見つけてくれ」と伝えた。

仏像は取り戻したが、犯人を見つけることはできなかった。この仏像は、龍山の国立中央博物館で見ることができるが、後ろの光背がひどく曲がっていることを確認することができる。盗難時に破壊されたせいであり、復旧は不可能だ。

  • < 延嘉七年銘金銅如來立像。龍山国立中央博物館で見ることができる >



金浦空港爆弾テロ事件

1986年のソウルアジア大会が開かれるわずか1週間前の9月14日、金浦空港国際線庁舎1階の出入り口の間に設置され私製の時限爆弾が爆発、餞別に出てきた一家4人と空港管理公団職員など5人が死亡し、33人が重軽傷を負った事件だ。

事件が起きた次の日、サマランチIOC会長が訪韓する予定であり当局はあたふたと収拾に乗り出して事件現場をきれいにすることに焦点を当て、捜査には手抜きで対処した。

北朝鮮の仕業と疑われて、南北関係が極度に冷却したが、犯人はもちろん犯行目的も明らかにできないまま、未解決事件として終結した。

その後、事件が起きてから23年が経った2009年、東ドイツ諜報機関シュタージの秘密文書を使用して、犯人は「砂漠の蛇」と呼ばれたアブ・ニダルであると明らかになる。アブ・ニダルは、北朝鮮から500万ドルを受けとって、部下のサムリンとドイツ赤軍の女性クラベに任務を任せた。クラベはルーマニアの情報機関で作られた偽造パスポートで韓国に入国した後、爆発物を設置して、香港に出国した。

この事件の中心人物であるアブ・ニダルは、2002年に謎の死を遂げたが、クラベは爆発物を作ったアブイブラヒムとイラクに居住して、2003年以降はシリアに脱出して暮らしていることが知られている。

  • Lim, Chul
  • 入力 2015-01-05 09:00:00

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