Q.韓国ではソルラル(旧正月)をどのように祝いますか?

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A.
旧歴の1月1日、ソルラル(旧正月)ですね。今年のソルラルは本当に楽しくなりそうです。

ソルラルを挟んで前日と翌日までの三日間が公休日になるのですが、今年のソルラルは木曜日なので祝日の翌日である土曜日と日曜日まで合わせるて5日間休みになります。会社員たちにとって、ソルラルやチュソク(旧盆)が火曜日か木曜日であれば最高なのですが、まさに今回のソルラルがそのようなケースになりました。

韓国では陽曆の1月1日をシンジョン(新正)、陰暦の1月1日をクジョン(旧正)と呼びます。クジョンとは昔のソルラル(正月)という意味もありますが、古いソルラルというイメージが強いです。歴史的に遡ると高句麗、百済、新羅が競っていた三国時代からソルラルが祝日になったいう文献があります。朝鮮時代にもソルラルは最大の祝日でしたが、小正月までの15日間をお祭りの期間としてつなげたといいます。一説には、この期間には借金の督促もしなかったというのですから、信じがたいことですね。

ところが、1894年の甲午改革の処置によりなくなり、日帝時代には朝鮮総督府が韓国人たちも日本人のように義務的にシンジョンを祝日とするようにという訓令を公布しました。

クジョンに餅を作ったり、または餅を作る工場を取り締まったりもしました。クジョンに故郷に行ったり、新年の挨拶をしに行く人を監視しましたが、イカ墨や黒水の入った水鉄砲をソボク(素服)着用者に向けて撃ったという後日談もあります。

クジョンを祝えないようにする迫害は朴正熙政権の時まで続きましたが、全斗煥政権に入って「民俗の日」という名前で復活をすることになります。いわば、ほぼ100年近くの間、クジョンは暗黙のうちに祝われた祝日だったわけです。それだけ民衆の中に深く根を下ろしている祝日だと見ることができます。

ソルラルは特に子供たちが喜ぶ祝日です。先祖の祭祀をしたり、ソルビムと呼ばれる新しい服を着るなど、様々な風習が伝わっていますが、大人にセベ(新年の挨拶、歲拝)をするとお年玉を受けるとることができるので、子供たちが好きにならないわけがありません。

ユンノリ、ポクチョリ(福ざる)がけ、板跳び、髪燃やしなどの風習はほぼ命脈だけ維持している程度です。昔の風習が伝わる田舎の村でも、最近では見物することが難しいです。おそらく昔から伝わる遊びよりも花札がより身近に感じられることでしょう。

1980年初めまでは子供たちが近所を歩き回って、近所の大人たちにセベをしました。大人は自分の子だけでなく近所の子供たちお年玉まで用意しなければならなかったため、全く困ったものでした。

ソルラルを前後して雪が降れば子供は犬のように走り回って楽しく遊びまわるでしょうが、大人は困ってしまいます。チュソクと同様に民族大移動が起こるため、雪の降る道を行くことを想像するだけでも頭が痛いわけです。実際に2009年に雪が降って、帰省をあきらめる人が多くいました。

ソルラルにはバラバラに住んでいた家族が集まりますが、自然と料理もたくさんするなど、女性の仕事が多くなります。義父母と仲の悪い嫁の立場からは地獄のように感じられることでしょう。頭痛がして、腰、肩、手足が凝りますが、これを通称して名節症候群と呼びます。女性がソルラルに苦しむ名節症候群は、チュソクよりもひどいといいます。

遊園地ではソルラルに各種イベントを行いますが、故郷に帰らない家族や逆にソウルに上京してきた人々で非常に賑わいます。子供が迷子になりやい日でもあります。

陰暦の正月を祝日にする国はあまりありません。韓国と中国、モンゴル、ベトナムくらいでしょう。モンゴルでは、下の人が上司にお年玉を渡し、上司がプレゼントをあげるそうです。

余談ですがクジョンについて、米国の記憶はあまり良くはないでしょう。ベトナムもクジョンを祝うため、ベトナム戦争当時にクジョンを前後して、休戦に入るのが慣例化されていましたが、ベトコンが1968年に35個の大隊の兵力を動員して南ベトナム全域で大々的な攻勢を繰り広げました。この戦いが、ベトナム戦争の運命を決定づけました。
  • Lim, Chul/KBS放送映像キャプチャ
  • 入力 2015-02-03 13:00:00

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