Q.韓国の芸能界には言論プレーで有名な人がいますか。(3)

답변게시판
A. 歌手のRAIN(ピ / チョン・ジフン)が言論プレーの達人と言われる最も大きな理由は2006年のワールドツアーです。このワールドツアーは決して順調とは言えませんでした。

RAINがアジアを代表するスターだったことは確かです。彼が主演を務めたハリウッド映画『Ninja Assassin』が全世界で公開され、2008年の北京オリンピックの開幕式でも歌を歌いましたから。韓国の歌手としては初めて東京ドームで公演をし、アジアの歌手として初めてワールドツアーも行いました。

『TIME』誌が選ぶ「世界でもっとも影響力のある100人」に含まれたこともあります。アジアでは明らかにスターでしたが、果たして米国やヨーロッパでもスターだったのかが問題でした。アジアを越えてアメリカ大陸でも人気のスター、アメリカ大陸で響き渡るKッポップは韓国のメディアの念願でもありました。

このような期待を背負って行われたワールドツアーでした。アジアでは、明らかに成功しました。インドネシアの代わりに行われたオーストラリアでも成功裏に公演を終えましたが、アメリカでの公演が取り消され、ワールドツアーの代わりに法廷ツアーが行われました。その後、RAINのワールドスターは言論プレーだったという指摘を受けてしまいました。

世界的な歌手であり俳優のRAIN、このような事実に浸って酔った記者たちが、若干恥ずかしい思いをしたこともあります。2009年にイギリスのプロサッカーチームであるマンチェスターユナイテッドが親善試合のために韓国を訪れたことがあったのですが、RAINとパク・チソンが参加した青少年を助けるための慈善フットサルの競技にアレックス・ファーガソン監督が招待されました。韓国の記者たちはファーガソン監督に「ワールドスターのRAINはどうか」と質問しました。返ってきた答えはこれです。

「私たちはRAINについてあまり知らない。韓国人と言えば、ミスター・ウについては知っている」

記者たちは、ミスター・ウーについて知りませんでした。ファーガソン監督も、韓国の記者たちも慌てました。

「私たちでも良く知っている韓国人なのに、韓国の記者が知らないなんて」

ミスター・ウは当時、イギリスで活躍していたフリースタイルサッカーのスター、ウ・ヒヨンのことでした。サッカーボールで絢爛な妙技を見せながら、ギネスブックにも搭載されるほどのスターでした。

「ワールドスターRAIN」の称号が完全に嘘だったわけではありません。しかし、すこしふくらまらせ過ぎた部分が無きにしも非ずでした。芸能界では、ワールドスターRAINの師匠であり、マネージャーだったパク・ジニョンの戦略だと見ています。パク・ジニョンが自ら有名なことで有名になる戦略で知られていたからです。とにかく、ワールドツアーによりRAINは言論プレーの神の愛弟子になりました。

RAINとともに、芸能界の言論プレー2位を争う人物が、アルバム企画者のキム・グァンスです。キム・グァンスは大型新人を発掘する人物です。SG Wannabeのデビュー当時、「50万枚を売れなかったら、自ら音楽界を去る」と宣言したり、ガールズグループのT-ARAをデビューさせながら「1カ月間に4文字の名前を持つガールズグループに追いつく。もし追い抜くことができなければ、海外に移民する」という爆弾宣言まで躊躇しませんでした。4文字のガールズグループとは、当時、最高の人気を誇っていた少女時代とワンダーガールズのことです。アルバムを出す前、T-ARAをMBCのバラエティ番組の『ラジオスター』に出演させたのですから、放送界に広い人脈を持っていることは確かなようです。

キム・グァンスはT-ARAのエースであるジヨン(パク・ジヨン)を売り出すために、最初から「リトル キム・テヒ」だと宣伝しました。キム・テヒにそっくりだと言って、キム・テヒと同じ髪形にした写真を公開するなど、途切れることなく言論プレーを試みました。そのせいで、ジヨンはアンチファンばかりが増えてしまいました。

ジヨンは横顔がキム・テヒに少し似ています。しかし、正面から見た顔はキム・テヒとは似ておらず、ヨプテヒ(横テヒ)、イミテヒション(イミテーションとキム・テヒをかけたもの)などの別名をつけられてしまいました。

キム・グァンスはその後も、言論プレーを続けたのですが、旧時代の手法が多く、逆効果ばかりを生みました。

2008年9月、米国のゲイクラブで見た踊りをモチーブにして、椅子に座って踊りながら歌う『ミチョッソ(狂った)』で1年にしてギャラを3倍にまで引き上げたソン・ダムビは、人気が出る前に言論プレーで注目を集めました。彼女は韓国で正式にデビューする前、AFTERSCHOOLの元メンバーのガヒ(パク・チヨン)と一緒に米国でS-Blushというダンスグループで活動し、ビルボードのクラブ部門でチャート2位になったこともあると宣伝しましたが、このチャートはそれほどすごいものではなく、国内の言論プレー用だと言う評価を受けました。

  • < ソン・ダムビは椅子を利用した振り付けで言論プレーなしに人気になった >

デビュー後、「女版 RAIN」「韓国のビヨンセ」だと知らせ、中身が透けるコルセットスタイルの破格的な衣装を着て登場しましたが、注目を集めることはできませんでした。毎日、ニュース記事で言論プレーをしたからと「出席チェックダムビ」、メディアでいくら売り出しても売れないという意味の「核潜水艦ダムビ」というからかいばかりを受けました。結局、自分の歌と踊りで人気を集めました。

このほかにも、俳優のシン・ミナ、AFTERSCHOOLのユイ、イ・ビョンホンの夫人イ・ミンジョン、俳優クララなどが言論プレーで有名な芸能人です。

言論プレーは芸能人自らの問題というよりは、先立ってジヨンの例で見たように、所属事務所の役割が大きいものです。服装が可笑しな芸能人について「コーディネーターがアンチ」だと言うように、未熟な言論プレーで所属芸能人を窮地に陥れる企画会社については「所属事務所がアンチだ」という理由がここにあります。

人気が絶頂だったAOAのソルヒョンが、デビュー以来、最大の危機を迎えた瞬間も、所属事務所の未熟なメディア対応が一役買いました。次回には、歴史意識で騒動を起こしたAOAを中心に、芸能企画会社の言論プレーについて話したいと思います。
  • Lim, Chul
  • 入力 2016-05-20 00:00:00

Copyright O2CNI All rights reserved.

目錄


      • facebook icon
      • twetter icon
      • RSSFeed icon
      • もっと! コリア