A. | 2000年6月15日、歴史的な南北首脳会談が実現して会談前後に南北間の芸術交流が爆発的に増えました。 公演ラッシュをリードした人は、ビル・クリントン元米国大統領の異父弟ロジャー・クリントン(Roger Clinton)でした。ロジャー・クリントンは1994年、ビル・クリントン訪韓時点に合わせて来韓公演を行い、ソウルに来たビル・クリントンが会場を訪れたりもしました。南北首脳会談の話が行き来きした1999年12月に平壌での公演を企画したのですが、ここにSBSが合流しました。 ロジャー・クリントンとSBSが合同公演をしたわけですが、とにかく韓国側からはパティ・キム、テ・ジナ、チェ・ジンヒ、ソル・ウンドに加えてアイドルグループのFIN.K.LとSechsKiesが参加しました。アイドル歌手としてはFIN.K.LとSechsKiesが初めて軍事境界線を越えたわけです。 北韓(北朝鮮)で初めて舞台に立ったアイドルグループSechsKiesとFIN.K.Lには制約も伴いました。過度に扇情的なダンスはダメ、露出もダメ。 FIN.K.Lは腕は除く身体のすべての部分を覆った黒い服を着て『私の王子様』というバラード曲を歌い、SechsKiesは振り付けを修正して落ち着いた雰囲気で観客に『予感』を聞かせました。
このような状況で他の放送局も手をこまねいているわけにもいきません。MBCは独自に平壌公演を企画、同年12月12日にロジャー・クリントンの舞台が行われた平壌の芸術劇場で「民族統一音楽会」を開催しました。ここに韓国歌手としてシン・ヒョンウォン、アン・チファン、キム・ジョンファン、ヒョンチョルなどが招待されました。 以後、2005年までにほぼ毎年1度や2度は韓国の歌手たちが平壌を訪れました。 2001年には歌手キム・ヨンジャが平壌で開かれた「4月の春親善芸術祝典」に金正日の招待を受けました。キム・ヨンジャは『Amor Fati』で有名な歌手です。 「生きるなんてそんなもの、誰もが手ぶらで来て 小説のような1編の話を世の中にまきながら生きる 自分に失望しないで、すべてを上手くはできない 今日よりましな明日ならいい」 簡単にこのような内容の歌なのですが南北の文化交流は今日よりも明日が期待される時期でした。 2002年の釜山アジア大会に北韓が参加することを契機にソウル・平壌の直行便に乗って180人余りの大規模な訪朝団が順安空港に足を踏み入れました。 1時間余りであれば来れる距離、多くの失郷民(北からの避難民)がこの近い場所を訪れることができずに半世紀のあいだ涙で夜を明かしたという事実にどれほど胸がいっぱいになったことでしょう。 テノールのイム・ウンギュン、歌手チェ・ジンヒ、イ・ミジャ、イ・ソンヒと一緒にバンドを率いて平壌に行ったユン・ドヒョンは公演途中、涙がこみ上げて歌を中断したそうです。 |