自分自身を投げだしたフィギュア・ママ

時にはコーチとして、時には友人として/真央、母親の墓で覚悟固め...モスクワに引越しまでして、リプニツカヤ育てた母 

21日明け方(韓国時間)、2014年ソチ冬季オリンピック女子シングルフリースケーティング競技が行われるソチ・アイスベルクスケート・パレスは、フィギュアの女王キム・ヨナ(24)の現役最後の舞台だ。ジュニア時代からのライバルだった浅田真央との対決も、この日を最後に大団円の幕を下ろし、「フィギュアの新星」ユリア・リプニツカヤ(16・ロシア)とも、初めての出会いであると同時に最後の勝負を繰り広げる。これらのように、直接に競争を行うのではないが、その心だけは戦場に出ている人々がいる。まさに彼女たちの母親、「フィギュア・ママ」たちだ。

26年ぶりにオリンピック女子シングル2連覇に挑戦するキム・ヨナの母パク・ミヒさん(55)は、最も熱心なフィギュア・ママで有名だ。

キム・ヨナはいつも「もっと成功して夢をかなえれば、お母さんが失ったものをすべて返してあげたい」と言うほど、パクさんはすべてのことを娘のために捧げた。

パクさんはキム・ヨナの影のように、24時間が足りないほどに付きっきりで献身的な世話をした。リンクでは第2のコーチ、リンクの外ではマネージャーあるいはママにならなければならなかったし、時には友人にもなった。簡単ではなかった。キム・ヨナが1年に休む日は2~3日程度。パクさんは、まいにち泰陵(テルン)選手村と果川(クァチョン)の室内氷上競技場を行き来して、3~4時間ずつ運転しなければならなかった。

ソチ冬季オリンピックでも、朴さんは影として同行している。キム・ヨナが最高の技量を発揮できるように、韓国で食材を丸ごと持って来たし、電気炊飯器まで用意した。「お母さんの手作りの味」が最も大きな励みだということを知っているからだ。

「しっかりしている16歳のフィギュアの新星」リプニツカヤは母親のダニエラ・リプニツカヤの下で育った。

ロシアのウラル山脈の近く、エカテリンブルクに住んでいたダニエラは、リプニツカヤが4歳の時の2002年に、趣味でフィギュアスケートをさせた。そして選手としての可能性を見せるやいなや、厳しい環境にも娘のために、2009年にモスクワに留学させた。

リプニツカヤの最初のコーチは「4歳の時、リプニツカヤは特別な才能を見せなかったが、あきらめていない様子だった。母から決意と勤勉さを学んだようだ」と回想した。コーチは、「モスクワに引越しまでしてフィギュアスケートを教えたいという決定を下した彼女の母親は、まさに英雄」と語った。

幼いリプニツカヤに試練がなかったわけではない。昨年、リプニツカヤは顎が割れて脳震盪を経験するなど、7回もの負傷に苦しめられた。医師たちも「フィギュアをやめなければならない」と言ったほど。母親そんな娘をそばで応援して励ましてくれた。

この二人とは異なり、「トリプルアクセル」で有名な浅田真央は、心の中に母を抱いてロシア・ソチに来た。2011年12月、母親の浅田匡子が肝硬変で逝去したからだ。代わりにソチ冬季オリンピック出国に先立ち、浅田は名古屋市内の母の墓地を何度か参拝し、「お母さん、金メダルを待っていて」と覚悟を固めた。

バレリーナ出身だった匡子さんは浅田の運動と生活はもちろん、精神的支柱だった。匡子さんはコーチ兼秘書、心理カウンセラーまで一人多役を消化した。
  • 毎日経済_ソチ=チョン・ヒョソン記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2014-02-19 17:12:30