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もっと! コリア (Motto! KOREA)
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  • Q.
    韓国の中産階級を分ける要素が所得水準の他にもありますか?
  • A.
    数年前、インターネットで「中産層別曲」という文が出回り話題になりました。国ごとに異なる​​中産階級を分ける基準を紹介した記事でしたが、韓国の中産階級は所得や財産のみ計算したものであり、反感を持つ人も多くいました。

    中産層別曲で提示された韓国中産階級の定規もあいまいな方でした。1人世帯なのか、4人家族基準なのかさえ明示していなかったからです。

    この話をするには、まず、中産層別曲という文に出てきた各国の基準から見てみるのが順序でしょう。残念ながら、その文では日本の中産階級への言及はありませんでした。

    アメリカの場合を見ると、自分の主張を堂々と発言し、弱者を助け、不義に抵抗して、リビングルームのテーブルに定期購読する雑誌が一つくらいはあってこそ中産階級に属するというものでした。

    フランスの中産階級の基準は、外国語を一つくらいは難なく駆使して、自らが参加して楽しむスポーツがあり、演奏が可能な楽器が必要であり、他の人と違う料理をすることができると記されていました。公憤を覚えて、弱者を助け、奉仕活動を着実に​​すべきだという点も中産階級の資格要件です。

    正しくなかったり、または違法行為に対処することができてこそ、中産階級として認められているという点は英国でも同様です。英国は紳士の国らしくフェアプレーと弱者をかばうこと、強者に対抗しなければならないという点も強調します。

    これに反して韓国の中産階級の基準には、アパート30坪以上、月の給与500万ウォン以上、自動車2000cc級の中型車、預金残高1億ウォンに毎年一回以上の海外旅行に行くという基準が提示されたため、文章を読んだ韓国人としては戸惑うしかありませんでした。

    韓国人は財産がそこまであるわけでもないのに、お金を自慢するという印象も漂わせ、精神的な面は度外視したまま物質のみを追求するお金の奴隷になったという感じを排除することができなかったからです。

    別曲を書いた人は、意図的(?)に朝鮮時代の中産階級の基準も差し込みました。部屋2~3個の家と若干の田畑、季節に応じて着る服があり、書籍や琴そして茶を沸騰させる火鉢、杖とろば一匹が当時提示された基準です。ここにはさらに義理を守って道義に反してはならず、国が困難な時に正しいことを話て生きなければならないという内容も朝鮮時代の中産階級の徳目に含まれています。

    ここまで来れば、フランスやアメリカの基準に決して負けない高品格でしょう。ただし、朝鮮時代にこの基準に合う人は、おそらく全国民の10%余りの士人くらいが該当したことでしょう。中産階級というよりは社会指導層の姿です。

    とにかく、現在の基準のみで計算したら韓国の中産階級は国の品格を落とすのに十分です。怒りがこみ上げるのも当然です。かといって「中産層別曲」を書いた人に対して大っぴらに文句を言うこともできません。

    各国の中産階級の基準に明確なソースがあるからです。フランスの基準はポンピドゥー大統領が生活の質(Qualite de la vie)で提示した目安であり、英国はオックスフォード大学、米国は公立学校で教えている目安です。韓国の中産階級の基準は、様々​​な調査で示された結果です。

    韓国の中産階級の品格を高めたいからと、今すぐアメリカやフランスのような中産階級の基準を提示することも困難です。そのような試み自体が中間階級を弱化させてしまうからです。もちろん、韓国の中産階級の社会・文化的な調査が全くなかったわけではありません。

    昨年、マクロミルエムブレインが韓国中産階級の内面を覗くための調査をしました。調査結果を見ると、非常に少数ではあるものの文化的な香りが漂っています。韓国の中産階級の骨格を構成する専門職従事者や起業をしている人のうち、少なくとも月に本を一冊読んでいるという応答が76.5%で、絶対多数を占めました。韓国の成人の読書量が月0.77冊である点を考慮すると、中産階級が比較的たくさんの本を読むと解釈することもできる資料です。

    しかし、細部を見てみると失望する部分もあります。主に読む本が小説やエッセイ、詩集などの文学作品や人文書籍ではなく、自己啓発や経営書籍というのが調査の結果が現れました。また、この調査では韓国中産階級が「国家や共同体への関心」(34.2%)よりも「自分の利益」(81.3%)に敏感であることも明らかになりました。

    杯がいっぱいになると溢れだすように、豊かさが溢れたら隣人とコミュニティに関心を傾けるのは当然です。生活を楽しむ余裕と弱者への配慮がまだ不足している韓国社会は、まだ杯を満たすために汲々としている姿であり、少し苦い思いがします。