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  • Q.
    韓国で活躍する外国人の芸能人について教えてください。(1) 外国人タレント第一世代編
  • A.
    ※この記事は「韓国で活動する外国人の芸能人はどれくらいいますか。ビザの種類は何ですか。」の続きです。

    前回とはタイトルが少し違います。私が少し修正しました。活動する芸能人ではなく、活躍する芸能人。正しくは名前を知らせたスターを選んで出そうという意図です。

    活躍の基準はなんでしょうか。結局はテレビに登場しているかが基準になるでしょう。少なくとも、広告モデルとしてでも電波に乗ったことがあってこそ、活躍すると評価することができるでしょう。

    ところが「どこまでを外国人とするか」という問題が生じます。外国人の芸能人にいつも選ばれる人の中には俳優やモデルとして活動するリッキー・キム、ジュリアン・カン、ダニエル・ヘニー、デニス・オなどが含まれていますが、よく考えてみれば彼らには韓国人の血が流れています。国籍が違うので、韓国人から見ると明らかに外国人ですが、海外では「同じような韓国人ではないか」と思うことでしょう。

    このような人物とアイドル歌手を除けば、韓国で活動する芸能人は本当にごく少数に過ぎません。数字を増やすために、演技者や歌手ではなく、トークショーやJTBCの『非頂上会談』に出演するタレントまで含めてみることにしましょう。

    このトーク番組に出演する外国人たちに「芸能人ですか?」聞いて、快く「はい」と答えられる人は、おそらくサム・オチュリ程度ではないかと思います。昨年末、この番組から降板したユウタはもちろん芸能人です。SMエンターテイメント所属の練習生であった彼は、今年の春、NCTのメンバーとして華やかにデビューする予定なんですよ。

    外国人の芸能人の中で最もシェアの高いアイドル歌手は後で扱うことにして、話を続けていきましょう。筆者の個人的な意見ですが、『非頂上会談』の出演陣をタレントと呼ぶことはできると思いますが、芸能人に分類するのは困難です。大学の客員教授に大使館職員、元アナウンサー、自動車会社の管理担当者もいますから。もちろん、なかには芸能人になる夢を持って、本格的に活動に乗り出す人がいるかもしれません。しかし、それは後日の話です。

    韓国が外国人に芸能界の門戸を開いた時期も考えてみれば最近のことです。かなり閉鎖的でした。1990年代半ばまではテレビで外国人の出演者を見ることができる番組は、英会話などの外国語の番組がせいぜいでした。昔の驚くべき出来事を再現したドラマや教育番組にもカメオ形式でちょっとずつ顔をのぞかせてはいましたが。

    今でも日曜日の午後にMBCで放映される『神秘のTV サプライズ』に外国人俳優がよく登場します。おそらく外国人に最も門戸を開いたプログラムであることでしょう。もちろん、端役で出演する「再演俳優」という枠組みにはなってしまいますが。

    複数のバラエティ番組に出演してそれなりに人気を得たオーストラリア出身のサム・ハミントン(Samuel Hammington)も再演俳優として活動していました。サムは6歳の時にオーストラリアのテレビで放送されたドラマに出演したことがあるそうですから、ずいぶんと早い時期に芸能界デビューをしていたわけです。

    交換留学生として韓国に来て滞在しながら、2002年の日韓ワールドカップを楽しみ、SBSのワールドカップ特集でリポーターとして放送界に足を踏み入れました。その後、『サプライズ』とKBSの『愛と戦争』、SBS『真実ゲーム』で再演俳優として出演しました。英語講師をして過ごしていた彼はコメディアンのキム・ジュノが出演する公演を見るために会場を訪れ、MCに呼ばれて即席で公演をすることになったのですが、これがサムの人生を変えたきっかけになったそうです。

    PDとコメディアンの目にとまった彼はKBSのギャグコンサートにゲスト出演し、再演俳優として磨き上げた(?)演技力のおかげで、良い反応を得て、この番組に特別採用のコメディアンとして合流することになりました。これが、サムが韓国の外国人コメディアン1号としてデビューしたストーリーです。

    幸運をゲットしたのです。運がなければテレビでスターになることが難しいほど閉鎖的な韓国の芸能界は、1990年に米国の弁護士出身のロバート・ハリー、フランス人のイダ・ドシ、ドイツ人のイ・チャム(李參)などの活躍で、外国人に対する拒否感が減って行きました。

    3人は全員が帰化して韓国人になっていますから、もう外国人の芸能人とも呼べませんね。イ・チャムは、映画やドラマに白人事業家や外交官役でしばしば登場していました。 MBCの政治ドラマ『共和国シリーズ』にはCIAとして登場したりもしました。大衆的な人気を得て、30本余りのCMに顔をのぞかせたりもしました。芸能界生活はやめましたが、韓国観光公社の社長まで​​つとめ、市会議員選挙にも出馬したのですから、すごいものです。

    • キム・スヒョンに韓国観光名誉広報大使委嘱状を渡す韓国観光公社の社長イ・チャム。しかし、日本の風俗店で接待を受けたという疑惑が提起されて退いた

    帰化しながら影島河氏の始祖となったロバート・ハリー(Robert Holley)は、慶尚道の方言で視聴者の心を捕らえました。外国人の口から方言が自然に出てくるので、いとも簡単に人々をテレビの前に集めました。彼の釜山なまりはしばらくの間、流行語となり、物まねの定番素材として使われました。ハリーはセヌリ党の比例代表候補に申請書を出しましたが、残念ながら公認を得ることはできませんでした。

    • 聞いていて気持ちのいい釜山なまりで人気を得たハリー。イダ・ドシと一緒に出演する場合が多く、夫婦なのではと誤解を受けるというエピソードを話している(KBS映像キャプチャ)

    イダ・ドシ(Ida Daussy)も帰化して、ソ・ヘナという韓国の名前があります。完璧に韓国語を駆使する西欧美人ということから、簡単にテレビに溶け込みました。彼女はフランスの感嘆詞である「ウララ!」を流行させ、コメディでパロディされる栄光(?)も味わいました。シングルマザーのキャラクターで再開した放送活動をやめ、現在は淑明女子大の教授であり、韓仏商工会議所理事を務めているそうです。

    • 1990年代半ば、MBC『イ・ホンリョルショー』に出演したイダ・ドシ。EBSのフランス語講座に補助講師として出演してからバラエティ感覚を認められ、放送の地平を広げていった

    そういえば、外国人タレントの第1世代はすべて後に成功しています。彼らの後に続いて、1999年にKBS2『韓国が見える - 外国人の歩行体験!』に出演した中国人のボチェンとドイツ人のブルーノもかなりの人気を集めました。韓国全国を周りながら、酒に酔って歌も歌い、無邪気な魅力を見せたボチェンと、テコンドーの上手なイケメンのブルーノが韓国の農村を体験し不思議がる姿が今でも記憶に残っています。

    ボチェンは中国で投資の専門家として活動して、韓国人よりも韓国人らしいという評価を聞いたブルーノは、ドイツで俳優として活動しています。ブルーノは米国ドラマ『LOST』にも出演しました。

    話してみたら、韓国で活躍する外国人の芸能人ではなく、活躍していた外国人の芸能人、過去の話を引き出してきてしまいました。しかし、どうしようもありません。現在は、あまりないないからです。

    とにかく、21世紀に入って、日本の女優が韓国のドラマに出演します。今でも韓国に幅広いファンを持つユミン(笛木優子、ふえきゆうこ)です。この話は、次回に紹介することにします。

    ※この記事は「韓国で活躍する外国人の芸能人について教えてください。(2)日本人偏」に続きます。