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暁星の挑戦DNA…「小さな技術が千万金より貴重」


「企業の役割は新たな産業を起こし、国家経済に貢献することだ。企業家の『業』は社会と国民のために行われなければならない。これを実現する企業の競争力の本質は『技術』から出てくる」

銀白色のナイロン糸を生産する小さな会社だった暁星(ヒョソン)。同社は半世紀ぶりにスパンデックスやタイヤコードなど、世界市場シェア1位を多数保有し、繊維・素材部門をリードするグローバル企業に成長する。

韓国財界史で暁星はこのように「国富」と社会的「責任」を代をつないで相続する、「起業家精神」を実践した事例として評価されている。暁星は創業1世代の「晩愚(マンウ)」趙洪済(チョ・ホンヂェ)会長(1906~1984)の挑戦DNAと産業報国の起業家精神が後代に受け継がれ、根のしっかりした名門長寿企業に成長してきた。 3代目の後代経営者を育成して選択する過程で、徹底して経営哲学を学習させ、厳重な社会的責任を果たすようにした。創業者のチョ・ホンヂェから趙錫来(チョ・ソンネ)へ、そして彼の長男である趙顕俊(チョ・ヒョンヂュン)につながる過程で、暁星が浮き沈みなく健在である秘訣も、このような起業家精神の発現にあるという評価だ。チョ・ホンヂェ会長が彼の息子と孫に残した最高の遺産はまさに「技術を蓄積して企業の競争力を育て、それによって国家経済に貢献し、社会的責任を果たす」という起業家精神だった。

◆ 産業報国の使命

故チョ・ホンヂェ会長は(1945年の)光復後、すべてが不足していた時代の状況を見て、自分の役割を確信する。「ソンビ精神」を持った企業家であった故チョ・ホンヂェ会長は、自分の「業」が社会と国民のために行われなければならないという信念があった。 1926年の「6・10万歳運動」に参加して拷問を受けた経験は、「悲しみを経験したくないなら、国を強くしなければならない」という使命感を育てた。

サムスングループの創業者「湖巖(ホアム)」李秉喆(イ・ビョンチョル)会長とサムスン物産の創立と経営に参加したりしたチョ会長は、1962年に暁星物産を土台に一人立ちに乗り出した。特にチョ会長は、国の経済を作り出すためには基幹産業あるいは中間材の企業の成長が必要だと判断した。これとともに、化学繊維事業の将来性に着目することになる。東洋ナイロン(Tong Yang Nylon)は発展を重ねてタイヤコード部門で世界1位、スパンデックス部門で世界第2位、ナイロン部門では世界5位に上がって、世界的な化繊メーカーとなった。また韓永工業(ハニョンコンオプ)を買収し、暁星重工業として改編して重工業に進出するなど、20以上の大企業群を抱える暁星の基盤を築いた。その一方で、いつも「業がわれわれの社会の支えになるとは思えない場合は、いくら金をたくさん稼げるといっても乗り出す必要はない」と強調した。

息子である趙錫来(チョ・ソンネ)暁星名誉会長も、産業報国を最も重要な価値と考えた。チョ名誉会長は全国経済人連合会会長在任時代、「だから雇用が増えるというのか?」という言葉を最も多く口にしたと伝えられる。 2009年に労使政策に対する社会的激論が起こるや否や、示した基準も「雇用が増える方向」に政策が行われなければならないということだった。

チョ会長は「技術企業」暁星の土台を作った。 1976年に東洋未来大学を運営しながら、彼がかかげた教示はまさに「身に帯びた小さな技術は千万金の財産よりも優れる」というものだった。技術力がなければ絶対に先進経済に成長しないという、確固たる信念を確認できる部分だ。

1960年代後半にドイツ出張に上がったチョ会長は、ドイツが戦後10年めで著しく発展することができたのは技術力のためだという結論を下した。特にドイツの各企業が生産工場と同じ設備を備えた試験工場まで作り、研究開発(R&D)に死力を尽くす姿を見てショックを受けた。

チョ会長は「未来は品質が企業の死活を決定する」とし、1971年に化学繊維技術を研究する国内初の民間研究所である「暁星技術研究所」を設立した。 1978年には重工業研究所を設立した。これによって、1968年に国内初のナイロンタイヤコードを製造した暁星は、1978年に初めてポリエステルタイヤコードの独自技術を確保することに成功した。

チョ会長の遺訓は息子であるチョ名誉会長の時代に初めて花を咲かせる。もとは大学教授が夢だったチョ名誉会長は、博士課程を準備していた1966年に父親の呼び出しを受けて韓国に戻って家業を引き継いだ。

現在、暁星のキャッシュカウの役割を果たしているスパンデックスは、チョ名誉会長の技術に対するこだわりと馬鹿力経営の結果だ。 2000年代半ばに中国企業の追撃が激しくなり、スパンデックス事業を放棄しなければならないという内部の反対にぶつかった。チョ名誉会長は逆に「投資拡大」という勝負手を投じる。 2010年暁星は最終的に世界1位のメーカーに跳躍し、現在までに世界市場シェア1位を続けている。暁星のタイヤコードも世界市場シェア45%を占めている、グローバル1位の製品だ。全世界に転がっているタイヤ2本のうち1つは、暁星のタイヤコードを使っている。

◆ 「正しいことは何なのかを先に考える」...社会的責任の実践

チョ会長は「企業人は利益を追求する前に、行っていることが正しいのかをまず考えなければならない」として、企業の社会的責務ときれいな企業文化の定着を早くから強調してきた。このような暁星の動きは、企業の社会的責任(CSR)や「ノブレス・オブリージュ(Noblesse Oblige)」という価値が普遍化されるずっと以前から実践してきた点で注目される。その延長線上で、生涯を教育に力を尽くした。東洋ナイロン蔚山工場を建設して資金状況が厳しくても、培明学園の新規建物の建築費用を後援し、奨学金を支給した。

特にチョ会長は6・25戦争直後の1953年から20年以上、毎年40人の学生に学費全額を補助する奨学事業を展開した。一般的な奨学事業とは異なり何らの組織も名前もない、「名前のない奨学会」と呼ばれた。チョ会長は「このような事実をあえて世に知らせる必要はない」とし、組織も名簿もない奨学会を運営した。後日、趙会長のこのような奨学事業は「嶺南奨学会」という名前で世間に知られるようになる。
  • 毎日経済_ファン・スンミン記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2018-08-21 19:50:02




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