Q.韓国の自殺率はなぜ高いのでしょうか?(3)

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A. ※この記事は「韓国の自殺率はなぜ高いのでしょうか?(2)」の続きです。

福祉レベルが高いからと、自殺する人がいないわけではありません。福祉国家として知られているノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマークなどの北欧諸国の自殺率も人口10万人当たり10人を超えます。

フィンランドはOECDの平均値を超える数値を記録しています。物質的に豊かで、すべてが整っていても自殺の誘惑から完全に抜け出せません。精神的な空虚が襲い掛かると、物質的豊かさが、むしろ害になることもあります。

一般的に豊富な先進国での自殺は、宗教的教義や哲学、人生に対する態度などの精神的な要因から始まる側面が強いのに対し、後進国では貧困、飢餓などが主な要因として知られていますね。

このような主張に従うと、韓国の自殺は後進国型に分類されます。しかし、完全に後進国型でもないという点から、韓国の自殺には特異な点があります。

昨年、保健福祉部傘下の中央心理剖検センターは、自殺者121人の事例を分析し、大きく3種類に分けました。まず、治療を適切に受けていないうつ病患者、次に経済問題、最後は過度の飲酒による自殺です。

この内、うつ病に対する適切な治療を受けていない人が32.2%と最も多い割合を占めたことが分析されました。急変する現代社会で精神的なストレスを受けない国はなく、韓国人が特にうつ病に多くかかるということではないはずです。

問題は、過度のストレスに苦しみながらも、精神科の治療を受けるどころか、薬さえ飲まないことにあります。OECDが発表した「一目で見る医療2015」の資料によると、韓国の1日の抗うつ薬の消費量は1000人当たり20DDD(1日の使用量の単位)と、28の調査対象国のうちで2番目に低いことがわかりました。

風邪にかかっただけでも常に薬を買って飲む国なのに、うつ病で自殺衝動を感じながらも、抗うつ薬を飲もうとはしません。

50代の主婦Bさんは、夫が突然早期退職した後、老後資金に対する計画が崩れながら、不眠の日々を送ることになります。小さなことにも腹を立てて、頭と腰が痛いという言葉を口癖に暮らしていたそうです。姉が精神科に行こうと誘っても「近所の人に会ったら恥ずかしいから」と拒絶し、薬局で買った胃薬で持ちこたえていました。そのうち、ストレスが限界に至って崩れてしまいました。

30代の主婦Dさんは、ひとりで子どもの世話をしながら、ストレスと激しい孤独まで感じたそうです。孤独に打ち勝とうと選んだ手段は酒でした。最初は1日に韓国焼酎を2分の1瓶飲んでいましたが、5~6年後に酒を飲まなくては眠ることができない状況に至ったそうです。一歩遅れて妻の寂しさを知った夫が精神科の治療を勧めましたが、Dさんはすでに生きることへの意欲を失った状態だったそうです。

中央心理剖検センターの調査では、死亡直前まで着実に精神科の治療を受けた割合は15%に過ぎなかったそうです。精神科に通うくらいならむしろ死ぬことを選択するという心理を垣間見ることができる部分です。

ネイバーなどのポータルサイトのQ&Aコーナーで、まだ精神科の治療を受けた記録が就職や公務員任用の障害になるのではと心配する相談が相次ぐ点も似たような流れだと理解することができます。

韓国ではまだ精神病患者=狂った人という等式が成立しているようです。精神が完全な人ではないということを意味するのでしょう。精神病患者になると、口げんかや各種の争いでも立場が弱くなります。

ケンカになったとき、第3者が仲裁に入ってきても「あいつの言葉は信じるな、狂った奴だ」と言ってしまえば、事態はほとんど整理されます。夫婦喧嘩をしても、片方が精神科に通う状況であれば、勝敗は決まったも同然の状態になります。信じられない話ですが、精神病院では自分は問題ないのに、夫(妻)や親戚が自分を精神病院に連れてきたと主張する患者を頻繁に見かけるそうです。

「狂った奴」とまで言われなくとも、精神科治療を受けると、意志が弱い人と後ろ指さされることも避けれません。特に「やればできる」という軍隊文化が今なお残っている韓国社会では、精神科の治療を受ける事自体が意志が薄弱な証拠となってしまいます。

少しニュアンスは異なりますが、2008年に放映されたMBCドラマ『ベートーベン・ウィルス』にも似たような部分が登場します。

劇中、女主人公のトゥ・ルミ(イ・ジア)は聴力を失う絶望的な状況で、他人事のようにクールに振舞おうとしましたが、カン・マエ(キム・ミョンミン)は「病気の前で堂々とするために、川に飛び込んで見ろ」と話します。何も聞こえない絶望を経験してこそ聴力を奪う病気の前で堂々することができるという意味から発した言葉です。

「やればできる」という軍隊文化の断面を垣間見ることができる部分です。

トゥ・ルミは、にっこりと笑って「そうしましょうか」と言い、その後、トゥ・ルミが川に飛び込むシーンにつながります。

カン・マエは水から出てこないトゥ・ルミを助けようと棒で川を掻きまわし、トゥ・ルミは通行人によって救助されます。

トゥ・ルミは、水から救助された後、カン・マエが作ってくれたスープを食べます。

「先生 、私がさっき水から出てこなかったとき、何を考えていましたか」
「周りに人がいないか探したでしょう。目撃者がいなければ逃げようと」
「でも、人が現れたから突然動いたでしょう。自殺幇助罪でつかまるかと思って」

精神疾患と自殺がこのように個人的な意志の問題とされる風潮にあるため、これを防ぐための社会的な努力も不足しているのが事実です。年間10万人以上が自殺をしようとしますが、自殺を防ぐために使われる政府予算は日本の3%水準の89億ウォン(2015年)に過ぎません。自殺者が少し減ったからと、元々少なかった予算が今年は85億ウォンと、4億ウォンも減少しました。

社会的な関心が減ったため、予算さえ削られたわけです。一家族集団自殺などの特異なケースを除き、60代の高齢者の自殺はニュースとしてすら扱われません。狂いそうなのに、狂ったことがばれてはいけない国、韓国が自殺共和国という汚名を抱える根本的な原因がここにあるようです。
  • Lim, Chul
  • 入力 2016-03-08 00:00:00

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