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ソウル蚕室の第2ロッテワールド開場…宿願事業達成したロッテ


  • ソウル蚕室の第2ロッテワールド開場…宿願事業達成したロッテ
「大韓民国の歴史に存在しなかった建物、最も複雑な建物だ。この建物は200年以上、この地に誇りとして残らなければならない。そしてこの事業に失敗すれば、当社グループは滅びる」

ロッテグループが内部用資料として配布した冊子を見ると、辛格浩(シン・ギョクホ)総括会長は第2ロッテワールドのプロジェクトについて林勝男(イム・スンナム)元ロッテ建設代表にこう語ったと伝えられる。

韓国のエッフェル塔を作ろう…30年ぶりに成就した辛格浩の夢

久しく待ちつづけた末に、シン・ギョクホ総括会長はとうとう畢生の宿願を実現することになった。ロッテが1984年、ソウル市に超高層建築物の建設可能性を問い合わせて30年ぶりのことだ。ロッテがロッテワールドタワーとロッテワールドモールの用地を購入したのは1988年だった。シン総括会長が超高層ビルを建てることにしたのは、フランス・パリのエッフェル塔のように韓国を象徴する建築物を作るという趣旨からだった。シン会長は以前のインタビューで、「残りの人生をかけて、世界的な観光施設を作る。韓国には観光名所があまりにもない。世界に誇る建築物を祖国に残そうという思いしかない」と語った。エッフェル塔や瞻星台(チョムソンデ)に似た初期のデザインを始め、26年の歳月が流れる間に、ロッテは22回設計デザインを変えた。シン総括会長は2ヶ月に一度、設計案の報告を聞くほど格別に力を入れた。

すでに1980年代半ばに「事業費のみ2兆ウォンが予想され、建てたら永遠に赤字を免れない」というグループ内の反対意見もあった。しかし、シン会長は「韓国にもこのような建物は必ず必要だ」とし、「黒字を出す系列会社で所有して、赤字に対処したらいいではないか」と、強い意志を見せたと伝えられている。

紆余曲折の第2ロッテワールド、これまでの歩み
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当時、88ソウルオリンピックを記念してロッテワールドタワーを88階として計画したりもしたが、後に世界に自慢できる建物を建てなければならないというシン総括会長の信念に基づいて、現在の123階建てのタワーとして確定した。グループの関係者は、「建設コストや許認可の問題など、事業に継続して支障が生ずるやいなや、一度シン・ドンビン会長が超高層として建てる代わりに階数を下げ、ツインタワーとして建てようと提案した」とし、「しかし、シン総括会長は韓国経済の地位を高める世界最高のランドマークとなればこそと、超高層ビルの意を曲げなかった」と伝えた。

2009年に建設案が最終的に確定したが建設費用はますます増えて、ソウル空港の離着陸問題に起因する論争や建設現場の事故など、第2ロッテワールドを巡って論争が続くと、シン総括会長の心労も大きかったと伝えられる。特に最近ではシンクホールや石村湖貯水量の減少などの安全問題が足首を掴むやいなや、90歳を遥かに超えた高齢にもかかわらず、工事現場を直接訪ねて進捗状況を確認し安全を強調してきた。この日の第2ロッテワールド低層部の使用承認に対して財界関係者は、「紆余曲折の末になんとか承認が降りたが、92歳の誕生日を控えたシン総括会長に最高のプレゼントになった」と語った。
  • 毎日経済_キム・ヂュヨン記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2014-10-02 17:24:49




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