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オードリー・ヘプバーンの息子ルカ・ドッティ「母に愛と感謝を学んだ」

「オードリー・ヘプバーン、ビューティー・ビヨンド・ビューティー」展示会 

  • オードリー・ヘプバーンの息子ルカ・ドッティ「母に愛と感謝を学んだ」
1950年代、米国ハリウッドのアイコンであったオードリー・ヘプバーン。遜色のない美貌と自信に満ちた表情、センスあるファッションセンスが引き立って見えた彼女は、銀幕の上で華麗に輝いていたが家庭では素朴な日常を愛する暖かい主婦だった。

「母が有名な女優だったという事実を知りませんでした。化粧をほとんどしなかったし、服もジーンズやTシャツを着てたんです」。最近、ソウルの新羅ホテルで会ったヘプバーンの次男ルカ・ドッティ(44・写真)は、母をそう回想した。彼はヘプバーンと第二の夫でありイタリアの心理学者であるアンドレア・ドッティの間に生まれた。彼の大きな目と角ばった顎がヘプバーンの顔と重なった。

「母は嗅覚が本当に発達していました。私も匂いをよくかぎ分けます。春が来る前に、花の香りがしたと言うと、母も嗅いだと言いながら『やっぱり私の息子』といいました」

オードリー・ヘプバーンは、1987年にユニセフの特別大使に委嘱された後、1993年に直腸がんでこの世を去るまでエチオピア、スーダン、バングラデシュを回って子供の世話をしました。このような奉仕の精神の意味を称えるために設立されたオードリー・ヘプバーン子供財団は、バングラデシュなど世界各国の子供たちを助けるプロジェクトを進めている。財団が運営する病院3か所は、米国の虐待児童を助けている。また、アメリカのLAでホームレス児童を学校まで乗せていき勉強をさせるプロジェクト、アフリカで電力不足に苦しんでいる生徒を助けるプロジェクトを運営している。

「母は社会の基盤は子供だと強調しました。虐待を受けた子供は暴力的な人に成長する可能性があるので、子供を保護し、育てるのが社会に役立つことだと言いました。母は第二次世界大戦を経験した後、死ぬような飢えと家族との別れを経験しており、さらに家庭の重要性を強調しました。暖かい家のない子供たちの家になりたいといいました」。息子は母の奉仕活動を幅広く理解していました。イタリアで著名なグラフィックデザイナーであった彼は、8年前からこの財団に入って仕事を始め、現在は会長を務めている。

「自分の有名さを利用して、人々に良い影響を与えたいと思ったのでしょう。注目を受けるということは、多くの人々が自分の話を聞いてくれるということですから。社会を良い方向に変化させたがりました」

家庭でもヘプバーンは慈愛に満ちていた。子供を信じて愛をたっぷり与えるスタイルだった。彼は「母は、私たちに対して怒りませんでした。ただし、母の目が大きすぎて、母を見てみるとすべてのことを知っているようでした。嘘をつくことができませんでした」と言った。

世紀のスターであるのに、ヘプバーンはなぜ人々は自分が好きなのかわからないという謙虚な人でもあった。 「鏡を見ながら自分がきれいだと思いませんでした。目はとても大きく、体はとても痩せていたでしょう。きれいではないと考えたので、すごく努力したのだと思います。演技が上手にできるように常に努力していました。プレッシャーを努力で克服した強靭な方でした」。

彼は母が作った「レシピ」からインスピレーションを得て、食品に関連したコンテンツを企画中だ。

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「愛を充満させなさいと母はいつも言いいました。悲しいことが起こっても、今日は私の最も貴重な一日だとしながら、人生を感謝することを学びました。好奇心が多く、よく笑う母は、いつも周りを明るく照らしました。私も世の中を明るくするために、助けになりたいです」

オードリー・ヘプバーン子供財団は、韓国公演企画会社のキーライムメディアと一緒に、オードリー・ヘプバーン展示会『ビューティー・ビヨンド・ビューティー』展を開催する。来る29日から来年3月8日まで、ソウル東大門デザインプラザで開かれる展示会は、映画衣装・小物・ホームビデオ・手紙・アクセサリーなど、オードリー・ヘプバーンの遺品を介して人間オードリー・ヘプバーンを照明する。チケット1枚ごとに1ドルが子供財団に寄付される。
  • 毎日経済 イ・ソンヒ記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2014-11-25 17:17:13




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