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スターバックスコリア、キム・ジンジョン運営総括総括部長

パートタイム3か月目に正規職になったバリスタ、今では… 

  • スターバックスコリア、キム・ジンジョン運営総括総括部長
キム・ジンチョン氏はいわゆる「IMF(韓国通貨危機)世代」だ。軍除隊後、米国へ勉強をしに行ったキム氏は、留学中に起きた韓国通貨危機に直撃弾を受けた。

家庭の経済状況が厳しくなり、学業をあきらめて韓国に帰ってきたキム氏は、すぐにでもアルバイトを始めなければならなかった。ところが、その初めの一歩が今の職場になった。スターバックスが韓国に進出した1999年、1号店である梨大店でアルバイトとして仕事を始めた彼は、現在もスターバックスで働いている。

バリスタのアルバイトとして始めたものの、創立メンバーでもある彼はスターバックスが韓国に進出した16年目の今年、全国730店余りに勤務する7000人のパートナーを総括する立場であり、顧客戦略支援チーム長として活躍している。このため、彼はスターバックスのパートナーたちが憧れる、ワナビーの一人でもある。キム総括部長は「韓国では、その当時、一般的に知られていなかったエスプレッソショットを直接抽出するとき、顧客が何かに憑かれたように珍しそうに見ていたりした」とし「すべてのことが楽しくて、誰に言われなくても、夜遅くまで残業してでも、他の人よりも学びたいと思った」と付け加えた。

パートタイムで働き始めた後、3か月後に正社員に採用され、1年2か月後にスターバックスの5番目の国内店舗であるCOEX ASEMタワー店の店長になった。超高速昇進だった。

スターバックスが国内の店舗では初めて売上高1000万ウォンを上げた時にも彼はいた。 ASEMタワーの店長時代に、当時のスターバックス社長が訪れ、店の運営について懸念を伝えてきた。しかし、その後、3か月で当時最高の売上高を記録していた明洞店を抜いて日別の売上高の最高記録を更新した。続いて8か月後には地域チーム長に発令され、スターバックス不毛の地だった釜山、大邱に10店舗を開いた。カテゴリーチーム長であるときは、スターバックス製品の現地化のために京畿米を活用した製品を多様に披露した。

スターバックスは青年期から彼の人生のすべてが刻まれたところだ。地域責任者(DM)として仕事をする時には、職場の同僚であったパートナーを配偶者に迎えた。

キム総括部長は「青年のときに始めた仕事で、自分の人生のすべてが刻まれているところがスターバックス」とし、「コーヒーで仕事と愛をすべて獲得したことになる」と笑った。また、「私はシーズンごとに新しく披露するプロモーション飲料が最もおいしい」とし、「スターバックスのヘリテージをもとに、毎回新しさを追加して一杯の飲み物に注ぎ込む、スターバックスの飲み物に私はいつも感動する」と付け加えた。
  • 毎経ドットコム イ・ミヨン記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-01-25 11:07:58




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