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韓国大企業初、50年間同じ会社で働き続けた「李洙彬サムスン生命会長」


  • 韓国大企業初、50年間同じ会社で働き続けた「李洙彬サムスン生命会長」
昨年11月20日と12月5日、サムスン電子の瑞草社屋多目的ホールで開かれた「サムスン社会貢献賞」と「誇り高きサムスン人賞」授賞式。サムスングループの年末の主要イベント会場の一番まんなかに、李洙彬(イ・スビン)サムスン生命会長(76・写真)が座を占めた。イ・スビン会長は総帥一家を除いたサムスンマンの中で、唯一「会長」の肩書きを持った人物だ。サムスングループのサラリーマン22万人の象徴も同様の存在だが、イ会長は先月入社50周年を迎えた。オーナーではなく、平社員がひとつの会社で50年間続け働けたのは、韓国大企業の中ではイ会長が初めてだ。

「勤続50年」は関連する統計を見ると、どれほど達成するのに困難な記録なのかを知ることができる。雇用労働部が調査した、国内労働者の単一職場の平均勤続年数は6.4年(2013年時点)に過ぎない。経済協力開発機構(OECD)が発表した韓国の労働者の平均勤続年数も5.3年(2012年時点)で、主要加盟国の中で最も短い。10年以上の長期勤続者の割合も韓国は18.1%で、OECD平均(36.4%)の半分にも満たない。

サラリーマンとしての長期勤続者は40年を少しこえた故ソン・ジェガプ前LG化学会長(1963~2005年)、李仁源(イ・インウォン)ロッテグループ副会長(1973~2015年)などがいるだけだ。「45定(サオジョン/45歳定年)」「56盗(オリュクト/56歳まで職場にいると盗賊)」という言葉が流行しているこの頃、イ・スビン会長こそサラリーマン神話の最先鋒にいるわけだ。

イ・スビン会長は1939年、慶尚北道・星州(ソンジュ)の出身で、ソウル師範大学付属高校とソウル大経済学科を卒業し、1965年にサムスン公開採用6期として第一製糖に入社した。彼は李秉喆(イ・ビョンチョル)サムスングループ先代会長時代から能力と人柄の面で認められた。入社9年目の1974年に役員になり、入社12年目の1977年2月に第一毛織社長になった。この時は満38歳。以来、第一製糖(1978年)、第一合繊(1979年)、サムスン精密工業(1984年)、サムスン生命(1985年)、サムスン証券(1993年)、サムスン生命(1995年)、サムスンライオンズプロ野球団球団(2003年)などの主要系列会社の最高経営責任者(CEO)をことごとく務めた。CEOキャリアのみで30年に達し、「職業がCEO」という修飾語まで付けられた。

イ・スビン会長は50年という長い歳月の間、ひとつの職場で働くことができた秘訣は、△優れた能力、△先輩・後輩が認める人柄、△危機の瞬間の決断力と、周囲の人々は評価する。

イ会長は、「ブルドーザー」式に押し通すスタイルではなく、穏健で合理性を強調する「和合型CEO」に挙げられている。イ会長と長い期間をともにしたペ・ジョンチュン前サムスン生命副会長は、「イ会長は相手の話をよく聞いて、自分から行動を起こすようにするスタイル」だとし、「徳を備え、グループ内の先輩と後輩を問わず誰もが好きで尊敬する人物」だと説明した。今でも会社を辞めた後輩役員を、1年に1~2回呼んで食事をするほど思いやりのある面もある。

イ会長は自分自身をあまり出さないスタイルだ。CEOとしては当然のメディアインタビューも、まともに行ったことは稀だ。先月に入社50周年を迎えたときにも格別の記念行事もなく、サムスン金融の系列会社の前・現職社長と質素に食事をしただけだ。イ会長は2002年、後輩養成を理由に代表取締役をやめた後は、グループの主要行事の座長役割を果たし、主に経営諮問を行ってきている。サムスン福祉財団理事長とサムスンライオンズ球団オーナーとして、グループの対外イメージ業務を支援している。

イ会長は最近、サムスン生命本社に毎日出勤し、主に午前中に仕事を見る。サムスンのある役員は、「肯定的な性格に加え、その年配では一般的な成人病もないことを知っている」とし、「友達に会うとき、ほとんど一人で焼酎の杯を傾けるほどだ」と説明した。韓国で「サラリーマン50年」という大記録を立てたが、会長の神話はまだ現在進行形だ。
  • 毎日経済_キム・ウンピョ記者/チェ・ジェウォン記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-02-08 18:01:27




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