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[社説] 原油価格の下落、その後…歴史の教訓


1バレル当たり100ドルを超えていた原油価格が、昨年9月以降から低下し、ついに半分にまで下がった。今後、原油価格はどうなるのだろうか。最近、世界4位の原油国であるイランが市場復帰し、原油価格がさらに下落するとの見方が優勢なようだ。一方、原油価格の下落時には生産コストの高いシェールガスの生産が減少し、原油価格が再び上昇すると予想する見方もある。しかし、彼らもその上限を約60ドル台と見ている。そこで、専門家は今後数年間、原油安の時代は避けられないと診断する。原油安の時代が到来すると、どんなことが起こるのだろうか。

過去にも、原油価格がこれほど急落したことがあった。30年前の1985年11月、1バレル当たり30ドルだった原油価格が、翌年3月には10ドルになった。5ヶ月ぶりに67%下落したわけだ。1980年代初め、第2次オイルショック以降、省エネが着実に行われた上に、北海で油田が開発されたことにより、供給が増えたためだ。以来、原油価格が30ドル以上のレベルに復帰するまで、なんと20年に近い歳月がかかった。

当時、原油価格が暴落しながら世界は前例のない好景気を迎えた。1980年代後半の世界は、年平均4%に近い成長を果たした。欧州諸国の成長率は1980年代前半の1.7%から後半には3.4%へと2倍に跳ね上がった。米国も3%台半ばの堅調な成長を維持した。世界経済の好調は、原油安が維持された1990年代にも続いた。米国の場合、クリントン政権に入ってから、失業率が1957年以来の低水準まで下がった。財政赤字も減少し、1990年代末には国債市場で政府が資金需要者から供給者に変わった。なんと70年ぶりのことだ。中国は高成長疾走を続け、ドイツは統一され、ヨーロッパは一つになった。まさに天地開闢が起こった。

ところが、この世の理がそうであるように、これほど良かった1990年代にも苦痛を受ける国があった。代表的にはロシア、日本、そして韓国だ。1991年、旧ソ連は社会主義経済の失敗で財政が衰弱した状態で、米国と軍備競争をしている途中に解体された。その嫡流を受け継いだロシアは、財政破綻で崩れた通貨ルーブルを生かすため、貨幣改革、預金凍結などを必死に行ったが、結局、1998年にデフォルトを宣言しながら崩壊した。お酒が好きな人は憶えているだろう。1990年代半ば、韓国の遊興街でロシア人の女性が多く出現したことを。その時がロシアが最も苦しい時代だった。

ロシアに続き、2番目の敗者は日本だった。1985年のプラザ合意によって、円が2倍近くに切り上げられると、景気低迷を懸念した政府が低金利で対応したものの、バブルが崩壊し、失われた10年が始まった。以来、生産年齢人口が減少する高齢化の陰が本格化し始めたが、これを無視して財政拡大を通じた景気浮揚に重点を置くあまり、今日、世界最大の債務国になった。

韓国の場合、始まりは壮大だった。原油価格の下落とともに低金利、円高まで重なった「3低時代」を迎え、1980年代後半は、いわゆる檀君以来最大の好況期を迎えた。しかし、その好況を体力をしっかり鍛えることに使うことができず、浮かれて興じて使ってしまった。史上初めての経常収支の黒字期を迎えて、まるで先進国になったかのように国民年金、全国民健康保険、最低賃金制など、大規模な福祉施策を一度に推進した。民主化熱風が吹いて、連日労使紛争が起きて、その結果、10年間で賃金が4倍になった。現在の硬直した労働法体系もこの時期に作られた。中小企業は居場所がなくなった。大企業は経済自由化の雰囲気に乗じて、石油化学、自動車、航空産業などへ業務領域をむやみに拡大した。「大石死せず」の信念で。そして、通貨危機を迎えた。1987年の民主化宣言から、ちょうど10年目だった。

今再び、原油安の時代が到来した。今後5年、10年が過ぎてから世界経済の版図は、いかなる形であれ、また再び大きく変わるだろう。今回も歓喜を享受する国がある一方、苦難に陥る国があるだろう。韓国は果たしてどこに属するのだろうか。最近の韓国社会の動く様子を見ながら、心配が先立つのは私だけではない気がする。
  • 毎日経済_KDI政策大学院キム・デギ招聘教授 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-04-19 17:12:41




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