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[モノの哲学] ボックス、共同体ではなく空同体


  • [モノの哲学] ボックス、共同体ではなく空同体
韓国で「感謝の季節」が近づいてきている。子供の日、親の日、先生の日。感謝を必ずその日にだけするわけではないが、公式の記念日をそのまま見過ごすには、気持ちが楽ではない。もちろん、最も良いのは「楽な気持ち」で記念日を迎えることだ。普段、ケアすることのできなかった人に 照れた表情を浮かべずに「心の表示」ができる機会でもあるからだ。

相手が誰であっても、心を表すには「フォーム(form)」が重要だ。フォームの基本は「しわくちゃではない」ことだ。このとき、「ボックス(box)」というモノは「心のフォーム」を維持させるために、ほぼ必須のものだ。このモノは、内容に関係なく、その中に込められた贈り物に整頓された印象を与えて、端正な品格を維持させる。

ボックスの、このような可能性は、ボックスの形そのものから出てくる。ボックスは、ボックスに入れるもののフォームを維持させるために、そのモノ自身は内容物を持たない(空いている)フォームをしている。「内容物のないフォーム」とは、ボックスが「形式」だけで成り立っているモノという意味だ。形式だけあるため、ボックスは様々な内容物も入れることができ、その内容物のフォームをそれぞれそのまま維持させることができる。リンゴも、服も、お菓子も、ボールペンも、人形も、本も、すべて入れることができる。この様々なリストをそこに入れて、子供の贈り物として、両親と先生への感謝の贈り物として、しわくちゃにならない原型のそのままで渡すことができるのだ。

唐突に、子供の頃、クリスマスシーズンになると旋風的な人気を集めながら発売されていた「お菓子の総合ギフトセット」を思い出した。お菓子の総合ギフトセットは、大きな箱の中にお菓子、チョコレート、キャンディー、ガム、付録など、いろいろな種類のお菓子が一緒に入っていた。ボックスは、多様なお菓子をしわくちゃにならないよう「共存」させるモノだ。言わば、そのボックスは一か所に入れられた多様性の表現だ。

親しい先輩の先生から辞典に登録された「共」の文字を使った共同体ではなく、「空いている」という意味の「空」の文字を使った「空同体」について想像してみようという興味深い提案を受けたことがある。「(同じ)内容」を共有するのではなく、むしろそれを「空ける」共同体という意味だ。「形式」だけあるという意味だ。そのような共同体は、どんな形だろうか。大人になり切れていない私は、それが子供の頃に見た、お菓子の総合ギフトセットの「ボックス」のようなものではないかと考えている。
  • 毎日経済_ハム・ドンギュン文学評論家 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-04-24 16:10:55




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