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[コラム] 韓国は「母の日」と「父の日」が分かれていない

父母の日(5月8日)に合わせてお祝い 

豊かでない暮らしを支えているに家長にとって、最も残酷な月は5月だ。この点でT・S・エリオットの「4月は一番残酷な月(April is the cruelest month)」という宣言は韓国の庶民家庭には通じない。

月初めからお金を使わなければならない日が次々と続く。子供の日、父母の日、先生の日、いずれの日も無視できない。その中で最も負担が大きい日は、まさに5月の8日にある父母の日だ。子供はプレゼントを買ってくれと駄駄をこねるなど、積極的に意思表示をするため、交渉(?)さえしっかりすれば適当な線で済ませることができるが、父母の日はまず心から重くなる。

高齢者の父母は、なかなか本心を見せないからだ。親と一緒に住んでいる人は、リビングルームに座ってテレビを見ることさえ負担になる。一般のチャンネルとチャンネルの間に挟まっているホームショッピングのチャンネルでは「父母の日特選」と言いながら、いろいろな種類の商品を紹介するため、商品を眺める父母の顔色をうかがいながら、リモコンを握っていることも照れ臭くなる。

「気にしなくてもいい」と言いながら部屋に入る高齢の両親の後ろ姿が寂しく見えた時には、カードで分割払いをしてでも今回の父母の日には、補薬でも買ってあげたい気持ちが先走る。

いったい誰が父母の日を発明したのだろうか。キリスト教の教会だ。

1872年、米ボストン地域にある教会を中心に母の日が提案され、フィラデルフィア出身のアンナ・ジャービス(Anna Maria Reeves Jarvis)が1907年に母親の2周期の追悼式で教会の信者たちに白いカーネーションを配り、母の日の制定を促しながら汎国家的な動きに発展した。1914年、米国の28代大統領トーマス・ウッドロウ・ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson)が5月の第2日曜日を「母の日(Mother's Day)」に決めながら、正式な記念日となった。

韓国でもキリスト教団体が米国の影響を受けた。1930年頃から救世軍で母の日の主日を守り始め、1932年にはメソジスト教会連合会で5月の第2日曜日を母の主日として守ろうと決議した。

儒教的伝統が支配する家長社会で、特別に父母の日を定める必要はなかったが、アメリカの教会から渡ってきた母の日が儒教的な孝の思想とも同じ流れになるため、キリスト教を信じていない家でも、これを受け入れることに拒否感はなかったた。

以後、1956年から5月8日を母の日として指定し、様々なイベントを実施したところ、男性が「父の日はなぜないのか」と問い詰め、1973年から名称を「父母の日」に変えてしまった。

米国は伝統に沿って依然として5月の第2週の日曜日を母の日、6月の第3週の日曜日を父の日にしている。英国やギリシャなどの国はキリスト教の伝統に則って、四旬節の期間(2月18日~4月4日)、父母の魂を称える風習がある。

日本や中国では5月の第2日曜日を母の日、6月の第3日曜日を父の日と定めて記念している。煎じ詰めれば父の日と母の日を合わせた国は韓国が唯一なわけだ。

この点が寂しかったのか、2012年に国会議員らが乗り出して、父母の日を法定休日とする法案を用意したが、惜しくも法案は制定されなかった。

父母の日に赤いカーネーションを両親の胸につける行為は、米国はもちろん、韓国と日本、中国の3国で同じように行う。米国から渡ってきた伝統が、東洋の3か国に自然と受け入れられたわけだ。

カーネーション1輪で両親の心を暖かくすることができればいいが、最近の高齢の両親は花より現金を好む。

複数の団体が50歳以上の成人男女を対象に実施したアンケート調査では、例外なく回答者の半数以上がもらいたいプレゼントとして「現金」を選択した。子供の直筆の手紙や親孝行観光、家電製品も好きなプレゼントのリストに入ったが、残念ながら孫の可愛いしぐさなどはプレゼントとしての扱いを受けなかった。

孫の可愛いしぐさは当然、祖父母が享受することのできる権利と認識されているためのようだ。
  • O2CNI_Lim, Chul
  • 入力 2015-05-08 09:00:00




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