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韓国の民主化時代を導いた「大きな山」金泳三前大統領逝去…享年88歳


  • 韓国の民主化時代を導いた「大きな山」金泳三前大統領逝去…享年88歳
「コサン(巨山)」金泳三(キム・ヨンサム)前大統領が22日、享年88歳で永眠した。金前大統領はこの日0時22分、入院中だったソウル大病院で敗血症と急性心不全でこの世を去った。

金前大統領(1927~2015)は19日昼、高熱と呼吸困難の症状で入院して21日午後には集中治療室に運ばれたが、とうとう快復しなかった。

これをもって6年前に逝去した金大中(キム・デジュン)前大統領に続き、大韓民国の民主化時代を導いた二大山脈が歴史の裏面に消えることとなった。

「YS」という別称で呼ばれた金前大統領は、その存在自体で韓国の現代政治史を象徴する人物だった。 「大道無門(大道にさえぎるものなし)」というモットーのように、多くの政治的節目を特有の勝負師気質で突破して、文民政府時代をさっと開いた。

金前大統領は1954年に第3代民議院選挙に26歳で当選し、第14代国会まであわせて9選議員を務めた。国会議員の最年少当選・最多選記録はいまも破られていない。 1971年の大統領選挙で「40代旗手論」を掲げたが、党内予備選挙で金大中前大統領に敗れた。 1974年に新民党総裁に選出された後、「鮮明野党」を掲げて反独裁闘争の先鋒に立った。「維新」末期に国会議員から除名されると、「鶏の首をひねっても夜明けは来てしまう」という名言を残した。

1980年、ソウルの春が訪れるやいなや金大中・金鍾泌(キム・ジョンピル)とともに「3金時代」を開いたが、12・12クーデターで再び挫折した。全斗煥(チョン・ドゥファン)政権時代には民主化推進協議会を結成し、23日間を絶食するなど、あきらめない執念で直選制改憲を導き出した主役になった。

1987年、金大中前大統領と候補単一化に失敗した後の大統領選挙で2位落選し、1990年には「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という名分を掲げ、民主正義党・新民主共和党と3党合同を宣言した。そして1992年の第14代大統領選挙で、生涯のライバル金大中候補を抜いて「5・16軍事政変」以後31年ぶりに文民政権を誕生させた。

大統領在任初期には軍事政権時代の権威主義文化を「韓国病」と規定して、大々的な改革ドライブをかけた。

1996年の中央庁撤去と1997年の全斗煥・盧泰愚元大統領に対する最高裁の無期懲役宣告は、「歴史を正す」の象徴的なシーンだった。

文民政府は金融実名制、5・31教育改革、地方自治体制度導入などを通じ、国家システムを一つずつ修正していった。また、産業化・民主化以降の新しいパラダイムとして「グローバル化」を掲げたが、任期終了を三ヶ月残して国際通貨基金(IMF)に救済金融を申請する汚辱も行った。
  • 毎日経済_シン・ホンチョル記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-11-23 08:42:05




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